親は子を育て、やがて子は親の面倒を見る

 日本国憲法に三大“義務”として「納税の義務」「義務教育を受ける義務」「勤労の義務」があり、民法に「扶養義務」というのがありますが、近年の日本社会においては、“権利”ばかりを主張する社会になってきてしまいました。
 “親は子を育て、やがて子は親の面倒を見る”ことは、日本の法律(民法)で扶養義務者が定められているとかいないとか言うことや教育の義務や納税の義務などの定めの有り無しに関係なく、全世界どこの国の民族であっても、人としてこの世に生まれてくれば当たり前のことであるはずです。
 人は誰もが煩悩を背負ってこの世に生まれてきます。
 人生を歩んで行くには、精神的な苦労や肉体的な苦労があって当然です。
 百八の煩悩は根本四苦から生じるが如くに、当然に最終的には「死」の苦悩に立ち向かわなければなりません。
 今日をいかに生きるか。毎日の日々を誰もが様々な苦悩と向き合いながら生活しています。
 そして、その多かれ少なかれの苦悩に立ち向かい、自らの意志で精進すること(精進と言うよりも)偽りの心を捨て正義の精神を以て諦めずに前向き努力していくことで、断続的な苦悩の一つ一つのが解き放たれ、そこに大きな喜びや幸せが得られるのです。
 世の中お金だと考える若者も多いことだと思います。
 確かに、草原や砂漠にある社会で生活するのと、経済が豊かで近代都市のある社会で生活するのとでは、大きな環境の違いがあり、日本や欧米の経済国にあっては、衣食住すべての物がお金さえれば何でも買えます。経済が豊かな国であればあるほどに、娯楽や楽しみもお金がかかります。
 そんな環境の中で生活するのが当たり前となれば、何もかにも自分が欲しい物をお金で手に入れようとする欲が膨らみ続けます。
 経済社会のの中で、欲に溺れ我慢することや節約することに歯止めが効かなくなれば、あげくの果てには破産することにもなります。
 その一方で、巨万の財を築き、何もかにもが手に入れることができる生活を送れる者もいます。
 しかし、お金で何もかにもが買えるようになった時、残しておくだけで人生を終える者と使い果たしてすべてを失う者、或いは、次世代に引き継ぎすべてを失う者があります。
 こうした両極端の成り行きの結末になってから、人は、お金では買えない物“モノ”、買うことのできなかった“モノ”に気がつきます。その時になってはどうにも手に入れようのない“モノ”となってしまっているのです。
 誰もが子を持てば、自分の失敗を繰り返して欲しくないと望むはずです。
 親の失敗により苦労して育つ子もいます。
 不幸にして親子が離ればなれになることもあります。
 不幸にして傷害や難病を抱える子もいます。
 様々な要因で親を恨むことになってしまう子もあります。
 しかし、自分が親になった時、子が育っていった時、そして自分が最後の苦悩を迎えようとする時、誰もが子供のことや家族のことと、この世に誕生した自分のことを思うことでしょう。
 どんなに波瀾万丈の苦悩な人生であろうが、やはり親はどこまで行っても親であり、先祖があってこの世に誕生させていただいたことに感謝することを。
 “一刹那にして無常な人生”誰もが思うことは同じです。
 今一度、原点に立ち戻ってみましょう。

   平成22年8月21日施餓鬼会
向 山 寺 二世 康 禅






Q&A「よくある質問と知っているようで知らない話」(見出し一覧)
 「宗教とは何か(目次)」   「お盆」へ   「彼岸」へ   「十三仏供養(目次)」   「空海の生涯について」へ   「秘密荘厳(見出し一覧)」