何故こうなってしまったのか?『いじめ問題』


 今年になってから「いじめ問題」が深刻な問題となっています。
 この“いじめ”問題については、特に小中高等学校の子供が“いじめられたこと”を苦に自殺する事件が多発する事態にまで発展しています。
 各学校や地域で様々な防止対策への取り組みも進められていますが、「何故に、このようになってしまったのか?」という大きな疑問が残ります。
 その“いじめ”の要因を考察したところで、今の日本の社会現状に即した考え方をすることが最善策であり、時代の変遷により修正の出来ない事柄もあるかもしれませんが、再度時代的な背景や経過を踏まえながら“いじめ”の起きる要因から再確認する必要があるかと思われます。

 では、「社会環境の変化」って、何がどうなって、こうなったのでしょう?
 やはり「風が吹けば桶屋が儲かる」状態なのかもしれませんね。
 ・・・・全く関連性の無いようなこと、あらゆる実状に埋もれて実態がみえないのが社会であり、情報化社会であり高度経済社会として発展し続ける日本社会においては益々複雑な社会となっていますね。

 こうした、時代的かつ社会的背景の中で、こんなことも関係あるのかもと思ったりもします。あくまでも時代の変遷における一考察ですが・・・・


【第1要因】「男女平等」ということに対して「差別」と「区別」→婚姻減少(離婚増加)→少子高齢化

 女性は仕事を選ぶか結婚を選ぶかとまでは言いませんし、女性が社会で活躍することは大いに結構なことですが、子を持つ親となった時には、父親の愛情では補えない母親の愛情があることをよく考えるべきでは?特に第二次反抗期までの子供がいる家庭では、父親の権威と地位を尊重すべきでは?
 これは男女の差別ではなく生態的な区別であって、女のとしての母親が子育てをしながら家庭環境を担うことが必要であるという役割だと思われます。
 日本経済が裕福になればなるほどに、女性が一人で生活して仕事が出来ることは非常に良いことですが、家庭があれば、そして子供がいれば、いくら男の協力が必要と言っても限界がありますので、女性が仕事に重点を置き主婦業と子育てを疎かにするのであれば賛成できないものがあります。
 そのことは家庭としての温もりが損なわれるばかりでなく、子供から見た母親の姿が家族の中心となるべき、父親の姿と同化させてしまっているのだと思われます。
 そうした中で何もかも学校や他人に頼る教育を進めてしまっている結果が現状としての家庭教育の崩壊を招いている要因の一つのだと思われます。
 現実を見れば、「男女平等」と言うことを生活における男と女の役割分担まで「差別」だと置き換えることの考え方に矛盾があるようで、女性が社会に生きることを違った意味で安易なものとして、嫁に行かない嫁が来ないと言った社会情勢を生み出していますね。
 まさに少子高齢化の最大要因をつくってしまっていると言っても過言でないと思います。


【第2要因】核家族化→兄弟姉妹(従兄弟・はとこ)の減少→親戚関係(祖父母に対する観念)の変化→家庭教育の崩壊

 最近特に冠婚葬祭の時に思うこととして、
 親戚の集まる人数が年々減っているということです。
 子供が小学校の時に「僕の従兄弟ってだれ?」
 。。。。あっ、あ、1人いるね^^;
 って、自分の従兄弟1ダースか?2ダースか?・・・
 “はとこ”は未知数とまではいかないけど不詳^^;;
 ・・・・でも多少つき合いがある。
 今や、兄弟もいない子が多ければ、いとこ、はとこ、いなくて当たり前
 「おじいちゃん、おばあちゃん、ってお小遣いくれる人」
 。。。。という子供の感覚なのでしょうね。
 まったくもって、祖父母は父母を教育してきたほどに立派な家庭教育をする敬うべき人という観念は全くありませんね。
 どんなに狭い家でも2世帯住めればと思うのですが・・・・2世帯住める環境にあっても、別世帯で暮らす今の御時世。
 嫁姑って、結局は実の母親より長年一緒に暮らす親子なのですけどね。
 そうした中で姻族であっても親戚としての両家との関係は持ちつ持たれつのはずが・・・・交流が薄れてきています。
 結局は「核家族化」ということが、家庭教育の崩壊を招いた最大要因ではないかと思われます。


【第3要因】旧集落と新市街地等のコミュニティの変遷→冠婚葬祭等に対する観念と行事のあり方→家族における余暇の過ごし方

 旧集落にあった「良き風習」が衰退しています。
 ・・・子供がいなければ賑わいもなければ出来ない行事もたくさんあります。
 その代わりに、「悪しき風習」が誇大化している傾向が見受けられます。
 ・・・あまりにも過剰になりすぎる「見栄張り風習」が残ったりもしています。
 結局、自治会はあくまで上辺のコミュニティ形成となっているのかもしれません。
 ・・・手間を掛けることや面倒なことはやめて・・・祭りではなくてイベントとして。
 当然に核家族世帯は夫婦で忙しいから他人のことに時間を費やすなら、
 自分たちでディズニーランド等で遊んだ方が楽しい。
 ・・・当たり前なのかもしれませんが。
 冠婚葬祭は家庭で手間を掛けるより、また近所に気を遣って手伝ってもらうよりもお金さえ払えば余所で出来るという考え方が多いようです。
 ・・・合理的かもしれませんが・・・ひいては周りのことにも無関心になっています。
 他人の子供の事などどうでも良い、間違ったことをしていても知らんぷりという傾向が強くなっています。
 やはり、日本は豊かなのですね。「ゆとり」ありすぎるのか?
 週休2日制で、親子がふれあえる時間を増やす目的ではあったようですが・・・・
 とても良いことなのですが・・・しかしただ単に(時間を得るだけのためのために)余暇を楽しむことだけに重点を置きすぎてしまったのか?
 なにか勘違いしいている。大切なことを忘れている。のではないでしょうか。


【第4要因】文部科学省の机上論における「ゆとり教育」の誤算

 教育問題は常に「会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ〜!」なんですよね^^勿論!家庭でもですね。
 文部科学省(旧文部省)の机上論による大きな誤算があることも確かです。
 どこまでいっても机上論の文部科学省と、批判ばかり論じるつもりはありませんが・・
 「灯台もと暗し」とでもいいましょうか・・・自分の家庭や身近な環境を肌で感じて欲しいものです。
 世間一般の解釈では、教育現場のことは学校長の責任とし、審議は教育委員会のようですが・・・・
 都道府県の教育指針とか様々な運用があるようですが・・・
 相当、現場の教職員も拘束され苦労しているのではないかとも思われます。
 (中傷批判ではありませんが、これが現実ですね。)
 「ゆとり教育」の本来のあり方は、心にゆとりを持って学力を伸ばすことを目的として、学力向上の工夫を考慮したティーム・ティーチング制(TT)をはじめとする授業形態の改革を行った施策ではなかろうかと思いますが・・・
 まして少子高齢化により余裕教室も増えたのでLL教室も増やし施設拡充やIT授業の推進を図ってきたのではなかろうかと思います。
 何か肝心なことを忘れてしまったようです。
 授業単位を減らしたと同時に授業の内容まで削減して、ただ単に内容の簡素化をしてしまったのかもしれませんね・・・その結果として、円周率は3だとか、社会(歴史)が抜けてしまったり、理科(科学)などで天動説を肯定してしまったりと・・・まったく笑っていられない現状だったりとつくづく思います。
 (公立か?私立か?賛否両論はともかくとして・・・)
 学業における補填を塾に委ねるしかない現状となっています。
 概ねの公立学校にあっては最低限の義務教育さえ履修できればと、プルアップしていくこともせず、ボトムアップもないのが現状です。
 まして、道徳教育も授業としての取り組みをせずに、規律のない自由な環境・・・?
 ・・・なにか「自由」をはき違えているのではという気もします。
 心のケアは「心の相談員」を委嘱等するだけの申告主義という学校もあるようです。
 これでは子供たちの心は開かれない。不十分だと思われます。
 先ずは学校の環境を変えていくことが大切です。
 大人でも環境に支配されるのですから子供の心は、それ以上に周りの影響を受けることとなります。・・・特に第二次反抗期の子供は、群集心理に走りやすいのです。
 核家族化の進む社会においては家庭教育の限界もあるとは思いますが・・・
 友達や仲間と共に成長する子供達にとっては、もう少し学校の環境を考えるべきではないかと思うと同時に、親たちの意識改革も必要となってきているのだと思われます。
 結局、教育は学校任せなのか、どなのか?という観点からも考えて行かなくてはなりません。


【第5要因】マスメディアの発展とマスコミよる局部的に誇大な考え方→我が身を正さず責任転嫁

 マスコミの報道は、確かにずさんな官公庁の実態を明らかにし、国からして「都合の良すぎる」「ずるい」組織の実態を明らかにしてくれるものもあるで、実態を鑑みた考察に役立つものといえますが・・・・
 全てがそうとも言い切れず、時に、何かそればかり、悪いところだけ、感心して、呆れて、或いは面白可笑しく過剰反応をして、責任転嫁している一面もあると思います。
 要するに、実態把握は大いに結構なことですが、他人任せになっているだけでは困ります。連携が必要なのです!!
 今の現状において最も肝心なこと、「心の強い子供」をいかに育む(「そだてる」のではなく「はぐくむ」)ことではないでしょうか。
 そして大切なことを見失っている大人社会で、親としては何をどうすべきか。
 批判するばかりではなく、官公庁の改善を求めると同時に親たちも先ずは、壊れた家庭教育を意識の中から構築し、学校や地域と連携を図った建設的な方策を見つける努力をしなければならないのではないかと思われます。

 と、あくまでも上記は過去時代から現代における経過としての結果論に過ぎませんので蛇足ながら、現実の、正に今の社会で起きている現状における方策と実例的な未然防止策、かつ、理想論(内容は個人的な考察における理想論)としながらも建設的な工夫が必要とされています。


 《分析》

【いじめの基本的な形態】

 「大人でも環境に支配されるのだから子供の心は、それ以上に周りの影響を受ける」「特に第二次反抗期の子供は、“群集心理”に走りやすい」ことを考慮した上で“いじめ”の発生経過と形態は次のとおりかと思われます。

@ 最初は単にからかっているだけであったり・・・冗談のつもりで・・・等々・・・非常に小さな出来事から発展。
A 他の子がいじめられているのを見て、自分も参加しなければ自分がその的になるという懸念→止める勇気がない。
B 加減を知らない。
C エスカレートしてしまう。
D 心の弱い子供が増えている。


【昔との大きな相違点】

@ 番長的存在がない・・・・(昔は)皆をまとめることもした・・・番長格は使いっ走りに対してもそれなに面倒を見ていたが・・・
A 子供の頃に取っ組み合いの喧嘩をしたことがない若い大人達(教員含む)そして、子供を叱って拳骨を喰らわせたことのない親たち・・・・加減を知らないがために暴力と躾の区分がつかなくなってきている傾向がありますが、子供に対してはいくら言葉で言っても分からなければ、加減を以ての拳骨やビンタも当たり前の躾だと思います。

 体罰と躾の区別も分からなくなっていて、公立学校においては「廊下に立たせたり」という反省させるための方便も無くなっていますが、そうした行為が全て悪いことだとは一概に言えません。
 とはいっても、社会が、世論がそうさせてしまったという皮肉な実状もなきにしもあらずかもしれません。


【分かっていても出来ない体制にある公立学校なのでしょうか?】

@ はっきりとは分かりませんが、特に公立学校の教育指針に問題あるのかもしれません。
 確かに、全てのものを受け入れなくてはならい公立学校としての運営においては、学校が生徒を選ぶことが出来ないのは当然のことですが、少子高齢化の影響もあって昔は1クラス50人強もの生徒を1人の担任がみていたのに対し、今では1クラス35人以下から30人弱の生徒を1人の担任、副担任が見ているわけですから、“いじめ”に気が付かないと云うことはあり得ないのではと疑問が残ります。
 見て見ぬ振りとしか考えられないか生徒の観察が足りなすぎるのではと思われても仕方ありません。
 担任はクラスの生徒ひとりひとりの毎日の学校生活よく観察して状況の変化を察知しなくてはならないのだと思います。
 校長としても隠して問題なく校長職を終えることしか考えてない・・・というか、それしかないという困った組織の体質があるかもしれません。
 単なる噂で話であればよいのですが、本当に親身になって子供達のことを考える熱血教師は逆に組織に逆らって飛ばされている、「出るくぎは打たれる」という話も聞くぐらいですから・・・
A それにもかかわらず、具体的な改善を率先できない理由には、保護者・父兄との連携が図れない事由なのか?国及び都道府県・市区町村公立学校という大きな組織体制には連携がないのか?規則等にがんじがらめになった実状と内部の責任転嫁で動けない状況があるのか?・・・それとも何らか他の原因があるのだろうかと思ってしまいます。


【改革の理想論】

 先ずは家庭環境の改善・・・・草の根的な改革心ではありますが。

@ 家庭環境・・・・それぞれ環境が違うので父親、母親が揃っているとは限らないので、やはり理想論ではありますが・・・もしも無理してでも出来る環境があるのなら
 1日たった2時間から3時間のこと!
 子供が学校から帰って来た時間帯に親が家にいてあげられるかどうかということだと思います・・・いくらおやつがあろうが、おもちゃがあろうが、お金があろうが・・・
 きっと、きっと、子供の心はそんなものを望んでいるのではないと思いますね。
 生活のために働くお母さんもいるかもしれない・・・だけど、だけど、大変だけど、小学校の年代まではなんとか「おかえり〜」と子供を迎えてあげられる環境つくってあげられるなら、子供の心の中に何かが芽生えてくるはずです。
A 父親の権威と母親の愛情
 男女平等でも、差別ではなく、生態的にも「男と女の区分」・・・・男にしかできない役割と女にしかできない役割があるのです。
 小学校の子供に与える「親の愛情」というのは、優しくすることとか、欲しいものを与えるとか・・・そういうものだけではありません!
 ・・・もっと、もっと、簡単なことなのですが・・・残念ながら、仕方なくも、それを出来ない、それをしてあげることが出来ない環境にあるお母さん方が多いのだと思われます。
B 「育てる」のではなく「はぐくむ」こと・・・・言葉云ってわからなければ多少ひっぱたくこと或いは罰(条件)を与えることも必要なのです。
 躾と暴力は違う!(加減を知ってのこと!)・・・罰(欲しいものを制限する等)と体罰は違います。
C 子は親の後ろ姿を見て育つ・・・・そして大人達の社会(考え方)をストレートに受け止めている・・・・大人の意識改革も必要となってます。
 “いじめ”による結末を、安易に他人のせい、人のせいに責任転嫁してしまう。
 大人達の意識にも、
 道路に穴が開いて事故を起こせば、道路管理者の管理が悪い。
 公園で滑り台で転んでケガすれば、公園管理者の施設管理が悪い。
 公園の木が伸びれば落ち葉が落ちて自分の家に庭に入って困るから木を切れ。
 木を切れば環境破壊だから切るな。
 収入が少なくて公的補助をもらえる基準になったから、仕事もせずにもらえるものはもらっておく。
 等々と管理の程度が明らかに過失がある場合は除いて・・・あまりにも自分勝手!甘えている!・・・これが当たり前だという世の中(日本社会)のようです。
 (私は亡き母からどんなに苦しくとも人の世話になる前に限りない努力することを教わったと確信しますが。)
 一見、この「いじめ問題」とは直接関係のないことのように思えますが、こうした身近なことも考えてみるべきではないでしょうか。


《現実例による改革のヒント》

1.我が家ある日のこと。【学校と保護者との連携】

 先日二男が学校で仲間とおもしろ半分にみんなで掃除時間に友達を用具入れ場に閉じこめてちょっと擦りむく程度のケガをさせてしまったと、・・・学校から電話がかかってきまして、そのやった仲間の子の父兄等みんなで、そのいじめられた親にお詫びしたばかりでした。
 相手方の親御さんは酷く立腹しているのかとハラハラドキドキしながら電話したのですが・・・
 相手方の親御さん「とにかく今後とも仲良くお願いします」とのことでした。
 ちょっとしたいたずらが「いじめ」に発展しないよう学校と保護者会が些細なことも連携して解決することとしているので、今般は一応何とかこれで治まりましたが・・・
 当然まだまだ今後何が起きることやらという気持ちは今日もありますね。

2.心の強い子供を、そして加減を知る子供を。【武道の精神】

 我が家の愚息等が小学校の時に一緒に始めたのが空手でした。
 私としては夜仕事が終わってから出来るもので、雨が降っても出来るものとして選びました。
 ・・・愚息等は中学生になったらさっさと辞めてしまい、親だけが居残りとなりましたが、現在、スポーツ少年団の指導員として継続しています。
 稽古には親子で来る4歳児から中学生です。

@ 喧嘩に強くなるためのものではなく、身を守るためのものです。
A 強くなるための空手は教えられないかもです。そして、大会等の組み手で勝てない弱い団体でありますが、心を強くしていることでしょう。・・・・負けたときの悔しさ→次回への努力→心の強さへと。
B 加減を知る・・・・痛さを知ることで加減を知るのです。
C ルールを守る・・・・正々堂々と公正なる試合→巣立ったもので、ナイフを振り回した者は未だ一人も聞いたことがありません。
D 冬は寒く辛いときもある・・・・忍耐を体得します。
E 礼に始まり礼に終わる・・・・社会においても礼儀の基本です。

3.思いやり。【命の大切さ】

 動物を飼うのも良いでしょう。
 我が家では長男と二男の兄弟喧嘩が耐えなかった頃(小学生の頃)・・・子猫を飼いました。
 →突然、喧嘩が治まりました。
 最初の子猫は、病気で2ヶ月で死んでしまいました・・・・懲りずにまた猫を飼っています。
 きっと、子供等は心の命の尊さを知ったことでしょう。

4.【有効な“いじめ”の未然防止対策】

 皆様方にあっては、やはり環境もそれぞれ違います。
 賛否両論あって然るべきかもしれませんが、有効な「いじめ対策」の一例です。
 すべての学校に出来ることとは云いません。
 公立、私立の教育方針の違いもあるかもしれません。
 生徒を選べる私立学校とすべてを受け入れなければならない公立学校の違いがあるかもしれません。

 先週、二男の学校の定例保護者会(全学年会)で、校長先生の最初の挨拶の中では・・・

『我が校にも他校と同じように“いじめ”はあります。昔も今もどこにでも“いじめ”は発生し得ます。
最近も小さな“いじめ”はありました。
子供達が“いじめ”と思っていない場合もあります。
しかし、いかに大きくならないように防ぐか。そして“いじめ”が無くなるよう常に努力しています。
我々教員達も毎日子供等のちょっとした行動をも逃さずに観察しています。
それには保護者の皆様のご協力も必要です。
家庭でも子供達の状況を観察してください。
何かあれば、どんな些細なことでも報告してください。
「学校と保護者の方々との連携」で“いじめ”を無くしていきましょう。
・・・それと、今般、休学処分があった事件の報告です・・・(中略)・・・内1名は転学していただきました・・・(以下省略)』

 等々の話については、父兄(保護者)皆が納得できる、同調できるお話しだったと思います。

※何も学校が「いじめ」があった事実を隠す必要などどこにもありませんね。

【学校と保護者との連携】・・・最も大切、かつ、有効な手段だと思います。また親子のコミュニケーションの向上も図れます。

以上、皆様の家庭環境、地域環境は様々に違いますが、何かの参考になればと思います。


平成18年秋彼岸
   (H18.11.25一部追記)
向 山 寺 二世 康 禅






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