三人寄れば文殊の知恵


  一般的には、優れた知恵・能力を持ってなくても三人(みんなで)集まって相談すれば何か良い知恵・案が浮かぶものだ、という意味とされ、正にその通りだと思いますが、
 様々な人間関係の上にある現実社会で、物事を取りまとめるためには、もう一つの意味(考え方)が必要なのではないかと思われます。

 今年の施餓鬼会でもお話ししましたが、
 町や村、集落など、或いは、様々なかたちでの社会組織(集団)ができれば、そこに一つの社会が形成される。そんな一つの社会の中で起こりえる諸問題の解決などのために、規則などの「法」が定められることとなります。
 「法」が定められるためには、日本漢字の意味からすれば、“道筋を立てて物事を取りまとめること”は、即ち「政」であり、“これらのルールを治めて実践していくこと”が、「治」という言葉に当てはめられます。
 そして、それらの社会にはそれぞれの社会のトップに立ち物事の取りまとめ役を担う者が不可欠となるのですが、その取りまとめを担う者もまた一人の人間なるが故に、常に五欲が付きまといます。

 人間には対立する者を潰そうとする動物的本能を持った闘争心や怒りや憎しみという感情を持っていますが、人間であるが故に物事を適正に判断する知恵や理性を持ち備えています。
 人は時に五欲に溺れ、自らの「名誉欲」を勘違いして抑えきれず、集団社会の中で頂点に立つことだけを考えてしまったり、或いは、推し薦められてトップになったことで、独裁主義になったり、派閥闘争を生み出してしまうことがあり得ます。
 「名誉・栄誉」は、“自らが誇ることではない!”
 →“偉くなってすべて自分が優れていると思ってはダメ!”“主導権を持って威張っていてはダメ!”
 「名誉・栄誉」は、“周りのものが讃えて与えられるもの!”
 →“名誉や栄誉が欲しいがために成せた功績ではないもの”“自己より他を讃えて互いを尊重しながら適正なる主導権が行使できる者に与えられるもの”

 さて、常に身近ににもあるような“物事の賛否”“対立集団(派閥等)”の闘争心がぶつかり合い、啀み合い、足の取り合い(揚げ足取り)と見にくい争いが繰り広げられる現実の社会の中で、“いかに知恵と方便を持って物事を解決できるか”としたならば、
 それこそ『三人寄れば文殊の知恵』を使わなければなりません。
 ここで別の解釈として、三人とは、「賛成」「反対」「調整」が三位一体となることではないかと思われます。
 一つの方便として民主的に物事を考えるなら“総論賛成、各論反対”ではなくして、“総論賛成、各論調整”ということ、即ち少数の反対意見を取り入れながら上手に調整しながら、物事を取りまとめれば上手く事が運びます。しかし、反対意見には、自己中心的に物事を考え、自分勝手でわがままなのもあります。社会環境の変化の中で、社会の法や社会環境変化を都合良く解釈してしまうこともあります。自由社会の中では、道徳倫理の基本に立ち戻り“社会の法を守る前に人として生きるための法に従い生きること”を願いたいように思うことがよくあります。
 これら反対意見が賛成意見と同等であったとしても相互の意見を調整しながら物事を取りまとめていくことが必要であり、それを担うのがトップの役割となるわけです。

 私の考え方としていつも言ってることですが、
 “反対意見には自らが見過ごしているより良きヒントがあるものです。対抗する者との協働体制が整えば新たな発案や方便も生まれ速やかに目標は達成できます”

   平成21年施餓鬼会のおまけ@康禅^^;



   

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