十 三 仏
 
何故、十三仏供養(廻向(えこう))をするのか
 
T 仏の供養とは何か
 
『十三仏』に即した廻向(又は「年廻忌」即ち「法事」といった供養をいう。)を行うことが、亡くなられた仏(即ち「亡者」をいう。)に対する何よりの供養としてごく一般に普及しています。
仏の供養といっても様々な供養があり、寺に参り廻向を行ったり、或いは自宅の仏壇の前で経をあげ廻向(供養)をすることだけが仏の供養ではありません。毎日仏壇に花や仏飯、水を供えて線香あげることも仏の供養に違いはありません。また、春彼岸、秋彼岸、お盆(=施餓鬼)といった日本の国民的行事もあり、それらはどれも仏の供養ですし、その都度お墓参りも行っていることでしょう。
然るに何故、初七日から始まる『十三仏』の廻向を行うのかという人もあるかもしれませんが、やはり親や兄弟或いは連れ合いや子といった近親の家族を亡くした者の仏(亡者)に対する追悼の念は深く、仏を偲び、仏を敬い、生前中の恩を感謝するなど、様々な思いを抱き、仏界にいる仏のためにと宗教(仏教又は密教)思想に基づいた年廻忌(廻向)としての供養をしてあげたいという気持ちが芽生えるのではないでしょうか。これが一般にいう「法事」としての供養なのです。そして、また、仏(亡者)の近親の家族に限らず生前中に縁のあった人々にとっても、この年廻忌としての「法事」が一つの節目となり、仏(亡者)に対する様々な思い出が呼び起こされると同時に、廻向(供養)やお墓参りなどを行うことで生きる人々の心を癒す機会となっていることと思われます。
即ち供養とは、仏に対する一方的な供養が行われることではなく、『相互供養』の意義が基本理念として成り立つことから、供養する側の心の供養や密教的教義における自供養が兼ね備わっているものなのです。
 
   
 
U 「法事」の意義と考え方
 
「法事」だというと、仏(亡者)に対する供養は勿論のことですが、何故か風習として親戚中を呼んで盛大に食事を用意してもてなさなければならないので、法事即ち年廻忌(廻向)が重荷だと考えている人も多いようです。
確かに、法事と称してに来てくださった親戚の方々に“今日は仏の供養ですから”と、たくさんのご馳走を振る舞ってあげることも大切かもしれません。しかし、どうしてもそうしなければならないということではありません。だからといって、年廻忌(廻向)は一切必要ないと考えるのもまた極端な考え方でしょう。
言い換えれば、『十三仏事』の法事だからといって、毎回親戚中を呼んで廻向を行わなければならないという決まりはないのですから、法事の本義としての廻向供養を家族だけで行うことがあっても全く問題はないのです。
なぜならば、施主となる者(仏に対する施し「供養」を行おうとする者)が自らの信仰心の中に宗教的意義を見いだし、仏(亡者;先祖や近親亡者)への追悼の意を示す施し「供養」をするのですから、施主の気持ちとして盛大に行いたいと思えばそのようにすればよいし、その年の施主の事情で廻向忌としての供養だけしかできなければそれでいいのです。また、他人に強要されて行う供養(廻向)でないこと基本に考えていただきたいのです。
なお、廻向そのものについても、仏教思想や真言密教の思想からすれば『十三仏』に則した供養だけに限ったものではなく、『十五仏』乃至『十九仏』の廻向供養が行われていることを申し添えておきましょう。
こうした「法事」の現実的背景について、私はいつも葬儀が終わった後、初七日供養などの時に必ず、喪主の家族や親戚のいる前で言っていることがあります。

“これは私だから口にして言えることです。皆さん方誰もが口には出せないが心に思っていることは同じだと思います。親戚が多ければ多いほど親の兄弟などで、あの家は何廻忌の法事を行った時にこうだったとか、この家は何廻忌の法事を行わないのか、法事をやるのに向こう(何処何処)の親戚は呼ばないのか、とか言うことがあり、年廻忌(廻向)を行えば供養と称してお土産まで付けて盛大に食事を振る舞わなければいけないような風潮があったり、かと思えば、うちもあの家と同等に法事をやらなければと見栄の張り合いをしてしまうことがしばしばあることと思います。しかし、これは本来の供養の趣旨を逸脱した考え方です。仏のためにとどうしてもやってやりたいから盛大にやるのだというのであれば非常に結構なことですが、親戚の手前で行うのでしたらそれはどうかと思います。当寺でさえも先代の時代に私の父の法事を親戚中を呼んで出来ない時がありまして、私と母(先代)とで年廻忌(廻向)を修法したことがあります。寺ですから壇信徒による法事を行ってもよいのではないかという意見もありましたが、当寺では葬儀でさえ私の家の葬儀として行ったのみで壇信徒葬を行いませんでしたので、そんな考えは全くありませんでしたし、今後もありません。それから何年かしてやっとの事で父親の法事を盛大とまでは言えませんでしが何とか思うように出来ました。また、先代住職の葬儀や法事にあっても同様のことです。ですから、法事はあくまでも施主の気持ち次第です。借金してまでも先祖のために今年はやってやりたいという人もありますし、今年はどうしても出来ない人もあります。どうしても思うような法事は出来ないが、せめて供養だけでもと思う時には、位牌を寺に持って来て家族だけで年廻忌(廻向)を行ってお墓参りをすれば、それでいいのです。そしてその時「御布施」のことでまた重荷なっては困ります。「御布施」はあくまでも仏に対する供養の気持ちですから、素直な気持ちで包めばよいのです。最近は相場だがいくらだとか言う人がいますが、当寺に限ってはそんなものありません。当寺の壇信徒はよくご存じのことだと思いますが、私(当寺)は、葬儀であろうが年廻供養であろうが、供養料を定めるつもりは一切ありませんし、供養料が高いとか安いとかいうことがあること自体がおかしな話だと思っております。「御布施」はいくら包めばよいのかと聞かれても決してこちらから値を付けたことはありません。あなた方が自らの仏の供養として自分で考えることですから私が決めることではありません。人の価値観はそれぞれの人によって違うものです。”といつも言っているとおりです。

当寺においては、あえて寺から壇信徒への年廻忌(廻向)供養の通知を行わないこととしているのも、こうした他人に強要される必要のない自らの先祖や近親亡者に対する追悼や感謝の念、そして壇信徒自らの信仰心を大切にしていただきたいという願いなのです。
但し、この方針はあくまでも当寺の考え方ですから、他の寺院が年廻忌(廻向)供養の通知を必ず壇信徒に通知するからといっても決して批判することはないのです。近年の世帯構成は核家族化により祖父母世帯の信仰心を受け継がなくなってきていることが大きな要因として宗教的信仰心が薄れてきているのです。また、仏(亡者)を持って初めて仏壇を守る家庭が多いことから、寺院から通知が来た方がわかりやすくていいと考えている人も多いようです。「御布施」についても同様で、年廻忌(廻向)供養はいくらと価格表を作ってもらった方がいいと考える人もあるようですし、それぞれの寺院の方針や事情或いは地域性などがあるようですから、私(当寺)の考え方と比較して中傷するようなことは一切行わないでいただきたいと思っております。
 
ところで、
(1)「十三仏事」「十五仏事」「十九仏事」を定めた起源は何か。
(2)「十三仏」等は何の意味で先祖をはじめとする仏(亡者)の供養となるのか。
(3)「十三仏」「十五仏」「十九仏」とする仏の功徳は何か。
ということについて、説明が必要になることでしょう。
ここで「仏」という言葉を混同しないようにしなければなりません。
一般仏教でいう「仏」においても、仏像や仏画などに表現される「仏」亡者をいう「仏」の二通りがあります。
 
     
 
“何故に亡者を仏というのか”という疑問があるかもしれません。
一般的には、“人は生きている限りは四苦(生、老、病、死)、八苦(愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごおんじょうく))をはじめとする煩悩を持ち続けるが、「死」により人社会(日常生活)における煩悩から解脱することができる。”のであるから成仏する(仏と成る)という解釈です。
しかし、以前にも申し上げたように密教教義においては、亡者だけが仏になり得るわけではないのです。「釈尊(しゃくそん)」即ち「釈迦族の聖者」が、出家し、修行の後に、生前中に(悟りでなく)「(さと)」を開いたことが、インドの言葉(サンスクリット語)で「Budhi(ブーディ)」であり、釈尊その者が覚れる者「覚者(かくじゃ)」即ち「Bodhi-Sattva(ボーディサットバ);覚る人」、「真理に目覚めたる者」を漢字にして「(ぼだいさった)」、略して「菩薩」となったことを意味するもので、「Budhi(ブーディ)」が変化して「Buddha(ブッダ)」即ち漢字にして「仏陀」となったのだということが、真言密教の心髄としての『即身成仏』思想(我が身即ち覚るもの成り。=「我即菩提」)そのものであるわけですから、「仏」は「覚り」と解釈することになります。
とりあえずここでは、先祖供養のための「仏」として、仏像や仏画などのいう「仏」と先祖を含めた亡者の「仏」について考えることとしましょう。
 
     
 
 
(1)「十三仏」「十五仏」「十九仏」を定めた起源
 
一説によれば、インドの起源とする、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日の七仏(この七仏事までを中陰(ちゅういん)という。)があり、中国を起源とする、百ヵ日、一周忌、三廻忌の三仏事、そして、日本起源とする、七廻忌、十三廻忌、三十三廻忌の三仏事が合わさって、『十三仏事』となったといわれます。この『十三仏事』は12世紀から13世紀頃、一般に普及したといわれます。16世紀頃になると、十七廻忌、二十三廻忌の二仏事が加わり、『十五仏事』となり、その後に、四半世紀の二十五廻忌、三十七廻忌、半世紀の五十廻忌一世紀の百廻忌の四仏事が加わり、『十九仏事』となったといわれます。
それでは、何故、初七日「不動明王」、二七日「釈迦如来」、三七日「文殊(もんじゅ)菩薩」、四七日「普賢(ふげん)菩薩」、五七日「地蔵菩薩」、六七日「彌勒(みろく)菩薩」、七七日「薬師如来」、百ヵ日「観世音菩薩」、一周忌「勢至(せいし)菩薩」、三廻忌「阿彌陀(あみだ)如来」、七廻忌「 (あしゅく)如来」、十三廻忌「金剛界大日如来」、十七廻忌「胎蔵界大日如来」、二十三廻忌「般若(はんにゃ)菩薩」、二十五廻忌「愛染(あいぜん)明王」、三十三廻忌「虚空蔵(こくぞう)菩薩」、三十七廻忌「金剛薩(こんごうさった)」、五十廻忌「愛染明王」、百廻忌「五秘密(金剛薩」、という仏が選ばれたのか、ということになりますが、このうち、「不動明王」「愛染明王」「大日如来」「金剛薩」といった仏は、密教の伝来と共に日本に入ってきた仏であり、特に「金剛界大日如来」は、お大師様(弘法大師空海)が遣唐使として中国に渡り真言密教承継の第八祖として持ち帰った金剛界曼荼羅(まんだら)に描かれる真言密教特有の仏であります。それ故に真言密教の教義により説明付ける方がわかりやすいと思われます。
もともとインド起源の「中陰の仏」、七仏につても何故この七仏が中陰の仏として選抜されたか、その記録は残されてないようです。そのために15世紀頃に十三仏の意義を正当化するために『十三仏抄』が偽作されたといわれます。しかし、何もそんなこじつけをして正当化しなくとも、信仰の中から生まれた供養だと考えればよいのです。
あえて、人がこの世に生まれて死に行く真理と亡者の供養に対する因果関係を説明する必要があるとするならば、密教教義をひもとく曼荼羅の中に解釈することとなります。人が煩悩を背負ってこの世に生まれ出て死に行くまでの人生は、一刹那(いちせつな)であり、仮有(けう)の自称を現象界に表したに過ぎないのです。その実体なくも実在した生命の真理は、宇宙の生命の中に見いだされた根源体より生じていることを曼荼羅は表現しているのです。中陰七仏乃至十九仏の意義や功徳も曼荼羅の表現を以て説明できるものといえます。
現在、我々が目で認識している現象界の仏様といえば、仏像や仏画に表現されている仏でありますが、密教なり仏教が発祥した時代のインド社会の仏像は、現代日本社会の各寺院で祀られている仏像等の姿とは大きく異なっていたといわれます。時代と共に曼荼羅も形を変え中国密教において曼荼羅の形がはっきりとしてきています。それは、@仏像で表現する羯磨(かつま)曼荼羅や、A仏画として表現された姿態形像を持つ(だい)曼荼羅の他に、B種字(しゅじ)(それぞれの仏の象徴として表現した梵字)による(ほう)曼荼羅と、Cそれぞれの仏の功徳を仏の形相として表した仏の所持する弓矢や杖或いは印契等を以て表現した三摩耶(さんまや)曼荼羅の四種でありますが、その原形はインド社会において仏事を修法するときに用いる土壇(もとは土で作ったものが、中国、日本では木製で作られるようになった修法壇)であり、寺院に祀る仏像を含めた仏堂(お堂)そのものが曼荼羅であることからはじまります。つまり、十三仏乃至十九仏の仏は、密教教義の根本真義となる曼荼羅の中から選抜された仏なのです。
先ずは「中陰」の七仏について考察しなければなりません。
 
     
 
 
中陰又は「中有(ちゅうう)」という。
真言宗の葬儀の儀式において行う引導作法の中の表白文に次の句があります。
敬って、真言教主大日如来両部界会諸尊聖衆・・・・略
・・・・生と者(いっぱ)、不生の生、滅と者(いっぱ)、不滅の滅、生滅共に不可得なり。得て称すべからざる者か。ここに今日の亡者0000、娑婆の縁、ことごとき既に他界に趣きて、南浮身(なぶしん)を離れてまさに中有にうつり、よって今、釈王十善の遺風に任せて、なくなく葬送荼毘の儀式を刷い、如来有応の道場をいつくしみて、新たに聖霊得脱の引摂(いんじょう)を祈る。六大無碍の火を燃やして、本来不生の体を焼き、・・・・・略
と、あるように、前世に死したる後、未だ次生(輪廻転生による次生)を受けざる間をいいます。
仏教辞典などによれば、「中有」の形は、その趣くべき所の本有の形の如く、この間の人の身は、小児の5,6歳位の形量にして、微細の浄色を以て成り、肉眼には見えず。その存続する時間は極少七日又は七七日、或いは無限なり、と説明しています。
即ちこれが「中陰」における仏事の起源なのです。そしてこの期間を「忌中」といっているのです。
この表白文からも分かるように、冒頭の「大日如来」を真言密教の教主即ち根本仏とする両部界会とは、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」の両部界をいいます。故に、この両部界会が示す世界に存する諸尊聖衆の中に十三仏乃至十九仏があり、それらの仏の功徳を以て亡者の冥福を祈る供養が、年廻(廻向)の仏事として行われることとなったと解釈すればよいのです。
なお、六大無碍(むげ)の「六大」とは、『地、水、火、風、空』の五大「宇宙生命の根本要素(5elememts)」生命を構成する要素(肉体界を表す)「体」の働きを示す「胎蔵界」『理』と、第六番目の『識』(精神界を表す)「心」の働きを示す「金剛界」『智』を合わせたものであり、この両界は『理智不二』であると説いています。
 
     
 
 
(2)「十三仏」等は何の意味で先祖をはじめとする仏(亡者)の供養となるのか
 
ここまでの説明の中で、「仏の功徳を以て亡者の冥福を祈る供養」ということを話しましたが、十三仏乃至十九仏それぞれの仏の功徳を説明する前にこれらの仏が何を表現するものかということを説明することにしましょう。
すべての仏が「曼荼羅」の中に存在します。「曼荼羅」は、宇宙そのものであり、「生」も「不生」であると同時に「滅」も「不滅」です。何をどのように理解すべきかと惑うかもしれませんが、人が人として生きている現象界だけを考えては理解できません。人が人間の体を宿して生きているのは、一刹那、つまり宇宙生命の時間の中からすれば、ほんの一瞬なのです。肉体は滅びようとも、土の中から、大気の中から、そしてこの宇宙の中からなくなることがなく、永遠の時間を超越した中に存在していると考えればよいのです。曼荼羅の中心にある「大日如来」は生命の根源体とするように、少なくこともこの太陽系においては、「太陽」を象徴しています。なぜなら、地球又はその他の惑星にある生命は太陽があるから生まれたモノに他ならないからです。たまたま太陽から約1億5千万キロメートルの距離に地球が存在し、約38万キロメートルの周りに月が存在したから引力や水と空気が生まれ、植物や生物が進化してきた46億年の過程で人間が生息しているに過ぎないからです。もし、これよりも少しでも太陽に近く水星や金星の如き星であったり、少しでも遠くの火星や木星の如くの星であったなら、人間が当たり前のように生息できる環境がなかったことでしょう。
そして、この宇宙の因縁的構成は、「生」としていきる人間にとっては、肉体界(胎蔵界)と精神界(金剛界)が不二(一体)なることを説いています。
即ち、曼荼羅の世界では偉大なる宇宙の構成から最少なる人の細胞、素粒子の構成までをも表現しているのです。
少し哲学的な解釈で、十三仏事乃至十九仏事と何の関係があるのかと思う人もあるかもしれませんが、このことが因縁真理の基本であり、人が生きているとき存在する色界(現象界)から肉体滅び行く無色界(人の目には見えない世界)に至った「仏界」においても、縁起を得て輪廻転生する世界があるとされていることに関係しているのです。それを密教教義としての表現で用いられたのが曼荼羅(man.d.ala(マンダラ);本質・心髄を有するものの意義)でありますが、物理的であると同時に非物理的な世界観は、二次元にも三次元にも或いは次元を超え、三世(過去、現在、未来)の時空を超えて表現しているのです。しかし、この密教教義を一般に説明するためには、やはり人の目で見る仏像や仏画などにより広義にも狭義にも表現できるようにしなければならなかったのでしょう。
 
     
 
 
そもそも“仏像や仏画として表現される仏とは何か”ということが最初の疑問となることでしょう。
仏教としての仏像の起源は、釈迦(釈尊)の滅、釈迦の教えを信仰する信者が仏教の開祖である釈迦を崇拝するために作り上げた対象物には違いありません。しかし、釈尊が生前中にあっても密教としての崇拝仏或いはそれに類似する対象物があったものと思われます。それは密教的に解釈すれば、宇宙の根本思想に基づく須彌山(しゅみせん)を表す大塔(stu-pa(ストゥーパ);卒塔婆(そとば))であると同時に曼荼羅(壇)であったのではないかと思われます。正確な記述はありませんが、釈迦如来をはじめとする仏像が作られたのは釈迦(釈尊)の滅後4,5百年の紀元1世紀頃だといわれています。
では、それまどのような経緯で仏像が作られるようになったかというと、釈尊が三ヶ月後の入滅(涅槃)を予言された頃に弟子の阿難(あなん)(=阿難陀)に説いた言葉に始まります。
“阿難よ、自らを燈火とし、自らを帰依として、他を帰依してはならない。法を燈火とし、法を帰依として、他を帰依してはならない。”
即ち、“自らが法「真理の教え(宇宙の法則);法界(dharma(ダルマ) dha-tu(ダーツ))真理=宇宙の真理」の灯明となり、自らを信仰しなさい。灯明が私(真理の教えを説いた釈尊)だと思って精進に努めなさい。”と、いうことであったのです。
弟子達は、釈尊の亡骸を荼毘(火葬)に付し、遺骨を八分骨してインド国内の各地方に仏舎利塔を建てて弔ったのでした。しかし、弟子達は勿論のこと、人々は、あまりにも偉大だった師、釈尊を偲び、生前中の釈尊の足跡や覚りを開かれた菩提樹下の台座などへの崇敬の念を持つことになり、教えの発展を車輪に喩えて法輪などの崇拝対象の代替物が作られるようになったのですが、この時には未だ釈尊は崇高な存在として崇拝されていましたので、すぐに人間の形に表現することは考えられなかったものと思われます。その後、時が経つにつれて仏像としての「釈迦牟尼仏」即ち「釈迦如来」の仏像が作られることになったのです。こうした歳月が経つ中で、釈尊の出現は、過去の縁起を説く教えに結びつくこととなり、来世に再来し、衆生を教化するとされる「彌勒菩薩」の功徳として信仰されることになったり、世の中をよく観察して人々を救済する「観世音菩薩」の慈悲や阿弥陀浄土を示す「阿彌陀如来」など、数多くの仏像や仏画が表現されていったのです。そしてそれらの仏像や仏画の崇拝対象が、自らの覚りの道(「自帰依法」灯明)を開くものであると、釈迦の教えが伝えられているのです。
仏(像・画)には大きく分けて「如来」、「菩薩」、「明王」の三種類があります。
 
     
 
如来」(tatha-gata(タターガタ))とは、如実に来至せり者、とか、如実より到来せし者、とか、如く来たりし者で、仏の総称であるといいますが、もう少しわかりやすく言えば、宇宙の真実を如実に体得して来た者であり、自身が救い主で厳然として存在する仏(自性輪身(じしょうりんじん))なのであります。それ故に、「大日如来」(maha-vairocana(マハーヴァイローチャナ)=毘盧舎那(びるしゃな)如来)のような『宇宙仏』をはじめとして、如来と一体化したと見なされた釈尊が「釈迦如来」として表現される『人間仏』があったり、「阿彌陀如来」「薬師如来」のような『理想仏』があるのです。
菩薩(bodhisattva(ボーディーサットバ))とは、大心を発して仏道に入り、四弘誓願(しぐせいがん)(涅槃を得るための4つの誓願)を発し、六度(=六波羅蜜;6つの知恵)の行を修し、上求菩提(じょうぐぼだい)(自利)下化衆生(げけしゅじょう)(利他)、五十一位(十信、十住、十行、十廻向、十地、妙覚)・三祇百劫(成仏するのに要する時間)の修行を経て仏果を証す者をいいますが、とても難しい意味です。要するに、直訳すれば“覚れる人”となるように、「如来」が体得した真理を具体的に表現する働きをする仏(正法輪身(しょうぼうりんじん);如来の分身として正攻法で、慈悲の手をさしのべて人々を救済する仏)なのです。それ故に、「観世音菩薩」のように経典の中でも実践的に説法を行い、衆生を教化し、救済する仏なのです。
明王(vidya ra-ja(ヴィディヤラージャ))とは、大日覚王(=大日如来)の教令を受け憤怒身(教令輪身(きょうりょうりんじん);如来の変身した姿)を現じて、諸々の悪魔を降伏する諸尊をいいます。「明」とは、光明の意義で、知恵を示し、また、真言陀羅尼(咒)を「明」といいます。「王」は、王様を意義します。即ち、智力を以て一切の魔障を摧破する威徳を持つ仏をいうのです。そして、胎蔵界曼荼羅では、肉体界の血やエネルギーを示し、金剛界曼荼羅においては、精神界の裏面にある、怒、欲、愛、慢などといった心の作用を示しています。
曼荼羅については、多分野にわたる学者達がそこに表現されている仏の配列、種類や意味を研究していて様々な学説が出されていますが、残念ながら私が知る限りでは、曼荼羅と仏事供養との因果関係については明確な解釈はありません。なぜならそれは信仰の上に作り出された供養の方便ですから様々な見解があって然るべきことなのです。学説にしろ密教の教えにしろすべてが方便だという人があるかもしれませんが、信仰は否定や批判をする必要がないことを今一度言っておきましょう。
そして、亡者の供養をする側に立つ我々は、曼荼羅の世界(宇宙)観の中に、人間界に生きる社会を基準として見た上で、仏界の理想的思想観を観じながら亡者が仏界に至り輪廻転生する中で仏の功徳による知恵や様々な力を得て成仏してくれることや、真の仏と成り得た後に我々の生きる衆生界における苦難や苦悩を仏が救済してくれることを願うのです。
 
     
 
 
わかりやすく曼荼羅絵(大曼荼羅)の中で仏の配列を見てみると、金剛界においては中央に、胎蔵界においては上段中央に「大日如来」があり、「大日如来」を中心に眷属となる仏が配列されそれぞれの役割や相互間の関係を表現しています。そして“仏界を死後の世界とする観点から曼荼羅を解釈した場合”に、亡者の輪廻を説く教えや仏の功徳を表現したものが、曼荼羅絵の中に描かれるそれぞれの仏の姿となるのです。
私の解釈では、「中陰」の仏は、亡者は死に行く過程でまさに肉体が滅び行く、未だ衆生界を離れたばかりの仏であるために、「大日如来」は、教令輪身(きょうりょうりんじん)(強化し難き衆生を強剛なる姿に変化(へんげ)して教化する導き手)としての初七日「不動明王」に姿を変え、諸悪を退治し苦難から人を救うのです。そのために容姿は「不動明王」の特性ともいえる精神界の裏面にある怒りや憎しみといった憤怒の形相をあらわにし、肉体界における血液や力(エネルギー)がみなぎる炎を背負っているのだと考えられます。
そして、二七日「釈迦如来」において、歴史上に存在した釈迦牟尼世尊「釈尊;ゴータマ・シッタルダ」の説法を受け入れます。一般的に寺院では、「釈迦三尊」というように「釈迦如来」を本仏として左右の脇仏に「文殊菩薩」と「普賢菩薩」が祀られ(配置)ています。よって、次の七日後の順番となるのが、三七日「文殊菩薩」となり、その次の順が、四七日「普賢菩薩」となるのです。
三七日「文殊菩薩」は、「文殊の知恵」といわれるように、釈迦の十代弟子の知恵の第一人者である舎利弗(しゃりほつ)の変化身(へんげしん)だともいわれます。知恵の行、即ち般若波羅蜜多の行を行うことで、三摩地(=覚りの境地;無上正等覚)を得ることが出来るのだといわれ、『般若心経』では観自在菩薩の説法の場面から説いています。
この教えに即して、四七日「普賢菩薩」の功徳としての「普賢の行願」があるのです。即ち、迷える者がこの行を願うことで、「普賢菩薩」は強い慈悲の力を普き持ち救ってくれるのだといいます。
しかし、中陰においては未だ本来の仏界には辿り着くことの出来ないことを示しているため、五七日「地蔵菩薩」が、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)輪廻を説き伏せ、未だ六道をさまよう亡者を第七世界の真の仏界に導こうとしています。そして、釈迦が五十六億七千万年を経た未来に「彌勒菩薩」に姿を変え再来し、人類救済の説法を行うまでの間は「地蔵菩薩」がすべての人を救ってくれるというのです。
従って次の順に来るのが、六七日「彌勒菩薩」で、衆生を救済すべき功徳を授かることとなりますが、中陰を離脱するまでの仏にとっては人間界の苦しみが未だ癒されていないのです。
それ故に中陰最後の七七日「薬師如来」にして、人が生きる上で逃れることの出来なかった根本四苦の内の心身「病」を薬で癒し、苦悩から解き放つのだと、考えて良いのではないかと思います。
中陰を離れ真の仏界に導かれた仏は、脇仏から本仏のへの順で功徳を授かり変化(へんげ)して行くこととなります。
十三廻忌(金剛界)及び十七廻忌(胎蔵界)の根本仏となる「大日如来」に至るまでの配列としては、逆から順に考えれば分かるように、七廻忌「如来」が「大日如来」の東方に位置するのに対し、三廻忌「阿彌陀如来」西方に位置しています。そして、「阿彌陀如来」の両脇仏となるのが、一周忌「勢至菩薩」と百ヵ日「観世音菩薩」となるのです。
然るに、十七廻忌「胎蔵界大日如来」から先の仏、二十三廻忌「般若菩薩」、二十五廻忌「愛染明王」、三十三廻忌「虚空蔵菩薩」、三十七廻忌「金剛薩」、五十廻忌「愛染明王」、百廻忌「五秘密(金剛薩」の功徳はどのように解釈すべきかということになりますが、真の仏と成り得た後に衆生界に生きる我らを教化し苦難や苦悩から救ってくれるものと考えられ、同時に既に永代供養の成仏身であると考えても良いと思われます。
このように、十三仏事乃至十九仏事に定められた仏はやはり配列順番とそれぞれの仏の功徳が相互に関係し合っているものと解釈できます。
六道輪廻を説く一方で、様々な功徳を持つ仏に姿を変化させる仏のことを思うと何故か不可思議で矛盾が生じてきますが、やはりこれは信仰による思想背景がありますので、一切の矛盾を取り除いて、仏の冥福を祈る気持ちを大切に供養していただきたいと思います。
 
     
 
 
(3)「十三仏」「十五仏」「十九仏」とする仏の功徳
 
初七日
 不動(ふどう)明王 (Acala(アチャラ);阿遮羅、不動金剛明王、無動尊、無道使者ともいう。)
【種字】  かん(ha-m.)
【真言陀羅尼】(慣用音) のうまく、さんまんだ・ばざらだん、かん
【原語】 Namah.(ナーマハ) samanta(サマンター)−vajra-n.a-m.(ヴァジラーナーム) ha-m.'(ハーン)
【訳】  諸金剛に帰依し奉る カン
     (あまねき金剛尊に礼したてまつる。ハーン。)
【教義】 是大明王 無其所居 m往衆生 心相之中
但し、この真言陀羅尼を「一字咒(いちじじゅ)」という。この他に一般によく知られる「慈救咒(じくじゅ)」(のうまく、さんまんだ、ばざらだん、せんだ、まかろしゃだ、そわたや、うん、たらた、かん、まん)と護摩を修法する時に使われる「火界咒(かかいじゅ)」がある。
【特性・功徳等】
明王と名の付く仏には、五大明王と八大明王があり、五大明王は、「不動明王」を中心に東西南北を囲むの四明王(東「降三世(ごうさんぜ)明王」、南「軍荼利(ぐんだり)明王」、西「大威徳(だいいとく)明王」、北「金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王」)をいい、八大明王は、この五大明王に、「烏蒭沙摩(うすさま)明王」、「無能勝(むのうしょう)明王」、「馬頭(ばとう)明王」を加えたものをいいます。その他にも、「孔雀(くじゃく)明王」や「太元(たげん)明王」などがありますが、二十五廻忌と五十廻忌の「愛染明王」がよく知られています。
不動明王は、大日如来の教命を受けて憤怒の相を示し(教令輪身(きょうりょうりんじん))、火生三昧(かしょうざんまい)に住して内外の難障と諸々の穢垢(えく)(ケガれ)を焼き、一切の魔軍や怨敵を滅ぼすといわれます。
仏像仏画には様々な形がありますが、姿としては、身体黒色(黄、赤、青のものもある)にして、右手に剣「煩悩悪魔を断伏す」、左手に羂索(けんさく)(縄)「自在の方便を示す」を持ち、弁髪を左肩に垂らし、左目半眼、右目見開き、或いは両眼を見開き、、口の両端の牙を交互(右上、左下)に或いは両方を上又は下に突き出し、憤怒の顔で、火焔を背にし、右肩を出し、大盤石に右脚を踏み下げて座し或いは立っています。インドの古き伝説に、インドの原住民が西方から進入してきたアーリア族に圧迫されて隷属を強いられた苦難を象徴したものであるため、頭髪を束ねて左側に垂らし、醜い顔つきをしているといわれます。
不動明王の眷属としては、二大童子と八大同時がありますが、不動三尊という場合には、二大童子の矜羯羅(こんがら)童子と制(せいたか)童子が脇仏として配置さます。八大童子はこの二大童子に、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆迦(うすばか)童子、清淨比丘(しょうじょうびく)の六仏を加えたものです。
不動明王は、一般的に祈祷の代表仏であるため、修験道(真言宗醍醐派の修験道や天台宗の修験道など)の山岳修行(大峰修行など)には常に本地仏として祀られる仏であり、その功徳は、特に不動明王が後ろに背負う真赤な火焔に象徴されます。この火焔は、世間の闇を照らして、迷いや災難を焼き尽くすことを表わすことから、真言密教における護摩祈祷では、息災、増益(無病息災、病魔平癒(へいゆ)、家内安全、交通安全など)を祈願するために修法する「不動法」や、国家安穏のために修法する「安鎮法」などがあります。
なお、胎蔵界曼荼羅では持明院に配置されています。
 
     
 
 
二七日
 釈迦(しゃか)如来 (S'a-kya(シャーキャ);釈迦国の出身である迦牟尼世(しゃかむにせそん)「釈尊(しゃくそん);ゴータマ・シッタルダ」を如来仏としたもの。)
【種字】  ばく(bhah.)
【真言陀羅尼】(慣用音) のうまく、さんまんだ・ぼだなん、ばく
【原語】 Namah.(ナーマハ) samanta(サマンター)−buddha-na-m.(ブッダハーナーム) bhah.(ブハーハ)
【訳】  諸仏に帰依し奉るバク
     (あまねき諸仏に帰依したてまつる。バフ。)
【教義】 釈迦如来 久遠成道 皆在衆中 一念心中
【特性・功徳等】
歴史上に存在した仏教開祖「釈尊」が“真理に目覚めたる者”=サンスクリット語でいう「菩薩」(bodhisattva(ボーディーサットバ))として覚りを開いたことが、入滅後に崇高な存在として崇拝されたため、仏像や仏画の原形が作り上げられる段階においては、「薩;sattva(サットバ)(人)」としての「菩薩」の崇拝観念を超えて『理想仏』の「如来」像を作り上げ「釈迦如来」となったとされます。
 
     
 
「釈尊」の略歴

「釈迦牟尼世尊」の「釈迦」は、釈迦国の種族としての名を示す。「牟尼」は、寂黙、仙人、智者などの意を示す。即ち「釈迦牟尼」で釈迦族の聖者を表す。「世尊」は、仏即ち如来の如きの成道者であることの美称です。釈尊の姓としての喬答摩(Gautama(ゴータマ))は、種族の別称としての由来。
釈迦国迦毘羅(かぴら)城主浄飯王(ジョウボンノウ)(S'uddhodana(シュッドゥーダナ))の妻、摩耶夫人(マーヤブニン)(摩訶摩耶(マカマーヤ);Maha-ma-ya-(マハーマーヤ))は、ある晩のこと“つの牙を持つ白象が天から降りてきて、摩耶夫人の右の脇から体内に入り、その純白の象は胎の外から透き通って見え輝いていた。”という夢を見たのであった。すると懐妊されていたという。それから十ヶ月の後、摩耶夫人は授かった王子の出産のため、生まれ故郷の天臂城(てんぴじょう)へ里帰りすることとした。その帰路の途中、ルンビニーの花畑を過ぎたところで急に産気ずき、ふと無憂樹(むゆうじゅ)の一枝に手を伸ばしたところ、右の脇の下から王子つまり「釈尊」が降誕(ごうたん)(誕生)したという。その日は世紀前566年(565年という説もある)の4月8日であったという。
そして、王子は、この地に降り立つと直ちに歩自分の足で歩き、手を上下に指し伸べ「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と声高らかに宣言したという。すると、突然の雨が降ってきた(甘露の放水)という。
悉達多(Siddha-rtha(シッダールタ))と名づけられ、誕生の七日後、生母摩耶夫人と死別し、摩耶の妹の摩訶波闍波提(Maha-praja-pati-(マハープラジャーパティー))に養育される。
幼年期より学術、武技を習学し良く通達したといわれ、まさに文武両道の優れた王子に成長していったのであるが、しばしば深思瞑想に耽る性格であったという。いつも人として生きることに心悩ませる太子を心配した浄飯王は、何とかできないものかと、城中に三時殿(寒さ、暑さ、雨の一年三期を快適に過ごすことのできる宮殿)を建設したり、太子十九の歳(一説では、16歳又は18歳の時という。)に耶輸陀羅(Yas`odhara-(ヤショーダラー))を妃に迎えることにしたのであるが、根本苦の悩みに出家の道を選ぶことになったのである。
この根本苦に悩み出家することとなったとの伝説があり、その物語が、『四門の遊観』として語られています。
 
     
 
   『四門(しもん)の遊観(ゆうかん)のあらすじ
釈迦国の王子として生まれた釈尊は、迦毘羅(かぴら)城の三時殿で過ごし、やりたいこと、欲しい物は何でも思いのままで、不自由のないの生活をしていたのだが、天上の歓楽を思わせるような五欲を楽しむ生活に自分自身の心に内省していた。
そうした日々を暮らすある日、一日郊外で遊ぼうと馬車で出かけることとした。そして『東の門』を出たら、馬車の前を手につかまってよろめき通り過ぎる老人を目にした。いつも若い男女、付き人や召使いに囲まれていた釈尊は、“あの者は何であのようにみにくい様相(白髪で背の曲がったやせ衰えた姿)をしているのであろうか。”その老人を見て「人は歳をとって老いる。」ことの現実を知り悩んだという。
それから数日して次に『南の門』を出たら、病人に遭遇した。
そして次に『西の門』を出たら、葬儀を目にした。“あの儀式は何であろうか。”「人は老い、病を得る。そして死を迎える。」ことを知り深く悩んだという。
またしばらくして次に『北の門』を出たら、出家し行に付す乞喰沙門(こつじきしゃもん)に出会い、“なんと澄んだ目をしていて心が研ぎ澄まれる者なのであう。質素な衣を通して、体中から喜びの光の輝き、和やかな空気があたりに充満しているのを感じる。”この沙門の姿を見て「出家」を決意したという。
そして29歳の年、7月の満月の晩、愛馬カンタカに乗り、城門を出て一路修行の旅に出たという。

その後、修行の道を求めた釈尊は、毘舎離(びしゃり)国の跋伽婆(バツヴァバ)仙人に就き行(ぎょう)を受けるが覚りを得られず、摩掲陀国(まがだこく)の王舎城(おうしゃじょう)の行き阿羅羅伽羅摩(アーラーラ・カーラーマ)仙人に就き「無所有処定(むしょうしょじょう)」(何もない境地)の禅定を受ける。次に鬱陀伽羅摩子(ウッダカ・ラマプッタ)仙人に就き「非想非非想処定(ひそうひひそうしょじょう)」(何もないことはないという境地)の禅定を受けるのであるが、更なる真の覚りを求め尼連禅河(にれんぜんが)の東岸優留頻羅(ウルヴェーラ)村の樹林(後に「苦行林」と名ずく。)で苦行を修す。この苦行では断食や息を止める行を修すという苛酷な行であったため、いつしか衰弱した体に平常心を失い気力をなくすばかりかついに何も考えることが出来なくなってしまった。ここで釈尊は「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」ことに気づき6年苦行を捨てることとなるのである。尼連禅河に沐浴し力つきて倒れていると、村の娘須闍多(スジャーター)から乳び(ヨーグルト状の醍醐という飲物であったという説がある。)を授かり力を回復したという。これを見ていた浄飯王の使いの者(護衛)達(陳如(きょうぢんにょ)〈アサジ〉等の5人)は、ついに釈尊は堕落したものと考え、婆羅奈斯(ベナレス)の鹿野苑(ろくやおん)へ行ってしまった。
釈尊は北方、伽耶(がや)村の畢波羅樹(ぴっぱらじゅ)(後に「菩提樹」と名ずく。)の下に座し金剛の如くの決意で深く瞑想に入ったのであった。すると幾多の悪魔が来て釈尊の瞑想を邪魔するのであった。ある時には美しい三人の娘を使わして誘惑したり、またある時は大群を率いて覆滅しようとしたりなどと覚りを開かせまいとするのであった。しかし釈尊は微動だもせず悉くこれらの悪魔を降伏(ごうぶく)したのであった。心の安静を得て夜になって禅定に入り、最初に前世を知る知恵を得、次に無量の衆生を見通す知恵を得、最後に暁の明星のきらめきとともに迷いの闇を照らす真実の知恵を得たという。ついに釈尊は正覚(しょうがく)を成道(じょうどう)した(覚りを開いた)のであった。時に35歳、12月8日のことであったと伝えられる。即ちこの「覚り」がインドの言葉(サンスクリット語)でいう「Budhi(ブーディ)」であり、釈尊その者が覚れる者「覚者(かくじゃ)」即ち「Bodhi−Sattva(ボーディサットバ);覚る人」、「真理に目覚めたる者」を漢字にして「(ぼだいさった)」、略して「菩薩」となったことを意味し、「Budhi(ブーディ)」が変化して「Buddha(ブッダ)」即ち漢字にして「仏陀」となった所以なのである。故に、「伽耶(がや)村の畢波羅樹(ぴっぱらじゅ)」は「仏陀伽耶(がや)菩提樹」と名ずくことになったのである。
釈尊は、その後も数週間はこの菩提樹下けにおいて説法を開いたのであるが、この最初の説法を「初転法輪(しょてんぼうりん)」という。この説法が釈尊入滅に至るまでの45年間の源泉であったのである。その内容については八万四千の法門と言われるほどの経典に収められているわけであるが、それは「十二縁起」を順逆に観ずる知恵であると経典では説明している。そして釈尊は苦行を共に自分のために給仕してくれた5人の護衛(アサジ等)を思い婆羅奈斯(ベナレス)の鹿野苑(ろくやおん)へ向かい最初の教えを説いたのであった。
これが、「初転法輪」であり、説いた教えは「中道」(中庸(ちゅうよう))と「四聖諦(ししょうたい)」であったといわれます。この「中庸」と「四聖諦」の教えは、後に二大弟子のうちの一人、舎利弗(しゃりほつ)に説いた教えとして経典『般若(波羅蜜多)心経』に説かれる教えなのです。

※「中庸」とは、両極端に偏らず程良く中道を進むことをいう。即ち凡夫の我らのみならず釈尊が何の不自由もなく、快楽の欲(五欲)に流されるままの生活の中で何の自覚も無く、また何の反省をも得ずに過ごした日々が一極端なものとするとき、それらのすべてを断じ、自らの身を苦しめることに専心し苦行を修した日々が反対の一極端となるとき、その両極端の道を退け、そこを離れた中道を進む道こそが如来の証す法であり、涅槃を導く道であると説いた教えである。そしてこの「中庸」を求める道の実践は「四聖諦」にあるとしたのである。
※「四聖諦」とは、「苦(く)」「集(じゅう)」「滅(めつ)」「道(どう)」をいい、第一の真理としての「苦」は、世の中は苦しみであることを知ることである。その苦しみとは、人が人として生きる上で逃れるのことの出来ない苦悩である根本四苦「生」「老」「病」「死」からはじまる、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五蘊盛苦(ごおんじょうく)」の八苦より展開する百八の苦悩(煩悩)であるということ。第二の真理としての「集」は、凡夫の苦しみの根源は心の奥深くに潜むもので、常に求めることに執着し押さえることの出来ない欲望の為すしわざである(五欲煩悩)ということである。第三の真理としての「滅」は、苦しみの無くなった世界が真の覚りの世界であるということ。そして第四の真理としての「道」は、この真の覚りの世界に至るためには「八正道」の実践を以て修行すべきであると説いているのである。

そして、自らが苦行を修した優留頻羅(ウルヴェーラ)に向かい再び伝道の旅に出た。三迦葉(かしょう)を(優留毘羅迦葉(ウルヴィラカショウ)は五百の弟子を率い、那提迦葉(ナダイカショウ)は三百の弟子を率い、伽耶迦葉(ガヤカショウ)は二百の弟子をひいていたといわれる。)を教化し、摩竭陀(マガダ)国の首都王舎城(おうしゃじょう)に入る。国王頻婆娑羅(ビンビサーラ)王の崇敬を受け竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)(寺)を授かる。舎利弗(シャリホツ)、目(モッケンレン)等二百五十人の仏弟子が加わり教団が次第に大きくなる。父の浄飯王は一族を教化し、阿難(アナン)、難陀(ナンダ)、羅(ラゴラ)、提婆達多(ダイバダッタ)等が入道する。後に養母摩訶波闍波提(マハープラジャーパティ)の出家により比丘尼(びくに)の教団が成立する。その後、薩羅(コーサラ)国舎衛城(シャエイジョウ)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)ほか、各地を布教し、45年の歳月、多くの仏弟子ができ、益々教団も大きくなっていった。衆生を教化する中で涅槃に近付く覚りを開いた。その間に提婆達多(ダイバダッタ)の反逆もあったが、教団を破られることなく仏法を広めた。
釈尊は北に向かい伝道に旅を続けたが、波婆城(ハバジョウ)で純陀(チュンダ)という鍛冶屋の子供から栴壇樹耳(せんだんじゅに)というキノコの供養を得たことで赤痢に罹ってしまった。拘尸那羅(クシナラ)の沙羅林(サラリン)に入り最後の説法を行い、沙羅樹の間に北を枕にして西を向き入滅したのであった。時に、釈尊80歳にして世紀前486年2月15日であったという。
 
     
 
 
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三七日
 文殊(もんじゅ)菩薩 (Man~jus'ri-(マンジュシュリー);文殊尸利の略、曼殊室利・溥首などともいう。)
【種字】  まん(mam.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、あらはしゃのう
【原語】 Om.(オン) a(ア) ra(ラ) pa(パ) ca(チャ) na.(ナ)
【訳】  無戯論者に帰命し奉る
     (「文殊菩薩に」帰命す。ア・ラ・パ・チャ・ナ。)
【教義】 文殊大聖 三世佛母 教化郡生 速證菩提
【特性・功徳等】
別称「妙吉祥菩薩」ともいわれ、大乗仏教経典『華厳経』や『法華経』の中でその徳が説かれています。“三人寄れば文殊の智恵”という言葉がありますように、文殊菩薩は知恵の第一人者として崇められていますが、同じ仏教思想の中で、釈迦(釈尊)の直弟子である「舎利弗(しゃりほつ)」が知恵の第一人者であるといわれます。これは仏教伝来の伝承経路が異なり、それぞれの伝承される過程での教えの違いによるもののようです。上座部(じょうざぶ)仏教において「舎利弗」を知恵の第一人者としたのに対し、釈迦の入滅後、インドに生まれたとされる「文殊尸利」(曼殊室利か、溥首か、若しくは他の名かは不詳)を知恵の第一人者とした大乗仏教の教えとの違いにあるようです。
参考までに言えば、密教の伝来とは別に、仏教の伝来にあっては大きく2つの伝承経路に分かれます。インドから南下してセイロン(スリランカ)やビルマを経由し4世紀頃に百済(くだら)に到達したもの(「上座部仏教;小乗仏教」という。)と、インドから北上してアフガニスタンより中国西域を経由し世紀に新羅(しらぎ)に到達したもの(「大乗仏教」という。)があります。日本には6世紀半ば(西暦538年)に伝来しているため、いずれのもとも言い難いのですが、一般的には大乗仏教の教えだとされているようです。
この文殊菩薩の功徳としては、この世(現実社会)における間違った考えや邪悪な思想や行為を断ち切り、人々の迷いや無智を正して、真実の智恵を与え、幸せな人間社会へと導くこととしています。
仏像や仏画に見る一般的な容姿としては、左手に迷いを断ち切る剣を持ち、右手に智恵を与えるところの経巻を持ち、獅子の台座に座っています。髪型には様々あり、一つ束ね、五束ね、六束ね、八束ねなどがありますが、五束ねのものが多いようです。
文殊菩薩の配下に就いた者として善財童子、優填王(うてんおう)、仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)などがあります。また、『華厳経』に説く文殊菩薩の教化により舎利弗が弟子を連れて後を追い、その徳を讃える話から、善財童子が五十三人の師匠を訪ねて求道の旅に出たという話があり、この話から東海道五十三次の宿駅が江戸時代につくられることになったといわれます。
なお、胎蔵界曼荼羅においては中臺八葉院(ちゅうだいはちよういん)の葉上西南を文殊院と名づき、金剛界曼荼羅の賢劫十六尊中に配置されてます。
 
     
 
 
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四七日
 普賢(ふげん)菩薩 (Samantabhadra(サマンタバッダラ);三曼多跋陀羅、Vis'vabhadra(ヴィシュヴァバッダラ)輸跋陀。)
【種字】  あん(am.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、さんまや、さとばん
【原語】 Om.(オン) samayas(サマヤス) tvam.(テバン) 
【訳】  三昧耶なり御身は
    (帰命したてまつる、汝は三昧耶なり。)
【教義】 一切有情 皆如来蔵 普賢菩薩 自體遍故
【特性・功徳等】
普賢菩薩は、文殊の智恵(智・慧・證)に対して慈悲の仏(仏の理・定・行)とされています。文殊と共に釈迦如来の二脇士とされ、六つの牙を持つ白象に乗り釈迦如来の右方に侍(じひ)しています。この六つの牙を持つ白象については、釈尊の生みの母とされる摩耶夫人がこの白象の夢を見たことから懐妊したと言われる話(参考; このページの「釈尊」の略歴へ)が残されていますが、この“ 六 ”の意味には、六波羅蜜(ろっぱらみつ)としての「布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・知恵(ちえ)(参考; 「彼岸」について【六波羅蜜とは】へ)を表しているのです。仏教の中でも真言宗は特に智恵と慈悲を仏の「いのち」として強く説いていますが、普賢菩薩は力強い慈悲心を表わす仏なのです。その慈悲心は、「普賢の行願」といわれるもので、私たち凡人がすべて仏に成る行を勧め、その願いを普き持っているのです。
その行願には十の願いがあり、一、諸仏を禮敬すること。二、如来(の恩徳)を称讃すること。三、広く供養を修すこと。四、業障(悪業)を懺悔(ざんげ)すること。五、功徳を随喜(ずいき)する(喜ぶ)こと。六、転法輪(てんぼうりん)仏の教えを請うこと。七、仏の永世を請うこと。八、常に仏を随て学ぶこと。九、恒に衆生に順じること。十、普く皆廻向すること。なのです。
なお、普賢菩薩は大日如来の眷属として、胎蔵界曼荼羅の中臺八葉院や文殊院などに配置されるほか、それらの内眷属として金剛薩(金剛手(こんごうしゅ)院の中尊)と同等とされていることがあります。
 
     
 
 
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五七日
 地蔵(じぞう)菩薩 (Ks.itigarbha(クシティガルバ);枳師帝掲婆、乞叉底蘖婆ともいう。)
【種字】  か(ha)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、かかか、びさんまえい、そわか
【原語】 Om.(オン) ha(ハ) ha(ハ) ha(ハ) vismaye(ヴィサンマエ) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  ハハハ(笑声)稀有なる徳を有する御身よソワカ
     (帰命したてまつる。ハ、ハ、ハ、希有なる尊よ、あなかしこ。)
【教義】 地蔵菩薩 以大慈悲 若門名號 不堕闇黒
【特性・功徳等】
地蔵菩薩は釈迦の入滅後五十六億七千万年を経た来世(未来)に再度この世に現れるといわれる弥勒菩薩が来るまでの間、いかなる悪事や災難に対しても怒ることなく、屈することもない、大きな慈悲と慈愛の心で、衆生のすべての人々を苦しみから救済するといわれます。姿は頭を丸め、見るからに優しく、身近に接することのできる姿(声聞形)、即ち出家沙門の姿(僧形)をしていて、一体だけで祀られている時には右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を持っています。
街角や峠には石造りの地蔵さんがよく見かけられます。また古くから墓場の入口には六体地蔵(六地蔵)や水子地蔵或いは寺院の境内やお堂には子育地蔵や子守地蔵などが祀られています。このうち六体の地蔵は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の「六道」を表し、亡者の冥土入りとでも言いましょうか、死者が「中陰」に在る輪廻転生の橋渡しを担っているものと考えられます。そして同時にこの世の現実社会における「六道輪廻」参考; 「お盆」について【六道と釈迦の降誕】へ, 「宗教とは何か」【輪廻転生】へ)を通して、人々を苦しみや災難から救ってゆこうとする誓願を持ち続けているのです。
この地蔵菩薩の誓いと守りの功徳は、生と死の両界における危機を回避し、孤独な気持ちから解放させていこうとする母親の慈愛心を持った寄り添いの念が込められているものといえます。特に子供のように弱い者に対しては三世(過去・現在・未来)を超えた強い慈愛の力を以て救っていこうとするものなのです。それ故に水子地蔵にあっては、先祖代々における過去の水子供養を行うことだけでなく、現世、未来永劫に至るまで水子としての不幸が起きないことを願うための萬霊供養が行われることとなるのです。
真言宗では大人が亡くなった時は本尊大日如来の梵字である(あ)字を位牌の戒名の上に書きますが、幼な子が亡くなった時は地蔵菩薩の梵字である(か)字を書きます。これは力の弱い子供を常に母親の慈愛心で以て救って成仏せしめるという意味が込められているのです。
なお、胎蔵界曼荼羅には地蔵院の主尊として菩薩形をなし、左手には幢を持ち蓮華上に立て、右手に宝珠を持っています。
 
     
 
 
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六七日
 彌勒(みろく)菩薩 (Maitreya(マイトレーヤ);彌帝隷、梅低梨、迷諦隷、梅怛麗などといい、慈氏と訳す。)
【種字】  ゆ(yu)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、まいたれいや、あ、そわか
【原語】 Om.(オン) maitreya(マイトレーヤ) a(ア) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  慈愛ある御身よアソワカ
     (慈氏尊に帰命したてまつる。心祈成就。)
【教義】 其後當作佛 名號日彌勒 廣度諸衆生 其数無有量
【特性・功徳等】
彌勒菩薩は、ヴェーダ・ウパニシャッド(二千五百年程前)釈迦(釈尊)の時代にインド仏教の二大教系の一つの瑜伽行派の祖として実在した彌勒とは別の者と言われますが、この彌勒の教義思想による信仰から彌勒菩薩の信仰が広まったといわれます。
彌勒菩薩は釈迦の入滅後五十六億七千万年を経た来世(未来)に再度この世に現れ、三度の説法会を開き迷える衆生の救済にあたる仏だといわれてます。その説法会には龍花という花が咲き、龍華三会といわれるのです。
彌勒菩薩は別名、慈氏菩薩ともいわれるようにこの世の衆生を強い慈悲の心で救済するという誓願を表わしています。
一説によれば、真言宗祖弘法大師空海は、この彌勒菩薩の浄土とされる都率浄土を観じ、その誓願を得て、釈尊滅後から来世の彌勒菩薩出現の間における現世の救済にあたったともいわれてます。
即ち言い換えて解釈すれば、真言密教にあっては未来永劫にわたり大師の教えに導かれて都率浄土への往生を即身成仏思想のもとに観じ得ることがでが出来るということになるのでしょう。
 
     
 
 
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七七日
 薬師(やくし)如来 (Bhais.ajya−guru(バイシャジャ・グル)殺社、Bhais.ajya−vaid.u~ryaprabha(バイシャジャ・ヴァイデュルヤプラバハ);薬師瑠璃光といい、醫王佛、醫王善逝ともいう。)
【種字】  ばい(bhai.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか
【原語】 Om.(オン) huru(フル) huru(フル) can.d.a-li(チャンダーリ) ma-ta.gi(マータギ) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  暴悪な象王よ除災せしめ給えソワカ
     (帰命したてまつる。除き給え、除き給え。チャンダーリよ、マータンギよ、祥福あれ。)
【教義】 我之名號 一経其身 衆病悉除 心身安楽
【特性・功徳等】
薬師如来は名の如く、左手に薬壷を持ち、右手を与願印を結び、「病」に苦しむ人々に薬を与え、心身を供養(回復)施す功徳持つ仏とされます。
薬師如来の持つ薬壷は瑠璃(るり)という宝石(七宝)で作られていて、その瑠璃の放つ光を浴びることで一切の心身病が治るとされています。
そのために、薬師如来は薬師瑠璃光如来とも呼ばれ、東方浄瑠璃世界の教主にして、衆生の病原を救い無明の疾病を治すといわれるのです。それ故に病気平癒の誓願を表わす仏として広く信仰を集めているのです。
真言陀羅尼でいう、“コロコロ”とは、「速疾に、速疾に、」という意味であり、“センダリ”とは、「暴悪の相をなせる者」をいい、“マトウギ”は、「象王といわれる狂象の如くの降伏の相を住する者」という意味なのです。
薬師如来が右手に結ぶ与願印は、人々の願いを成就する功徳を表しますが、この誓願は、ただ単に病気の苦しみを取り除くというだけでなく、十二の大願を持っているのです。その中の「相好具足」「光明照被」「除病安楽」の三誓願が民衆に信仰され、身体の健康と病気平癒の誓願といわれます。
仏像の光背には化仏(けぶつ)といわれる七つの小さな仏があり、両脇には、手に日輪を持つ日光菩薩と手に月輪を持つ月光(がっこう)菩薩、それに十二神将(じゅうにじんしょう)を従えています。また、四天王として、持国天(じこくてん)(東)、増長天(ぞうちょうてん)(南)、広目天(こうもくてん)(西)、多門天(たもんてん)(北)が配置されます。曼荼羅に配置される方角としては、阿彌陀如来が未来往生の西方浄土とされるのに対し、薬師如来は東方浄土の現世に利益を施す仏とされています。
 
     
 
 
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百ヶ日
 観世音(かんぜおん)菩薩 (Avalokites'vara(アヴァローキテーシュヴァラ);阿縛廬枳低濕伐邏の訳。)
【種字】  さ(sa)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、あろりきゃ、そわか
【原語】 Om.(オン) a-lolik(アーローリク) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  清浄なる御身よソワカ
     (帰命したてまつる。蓮華尊よ。めでたし。)
【教義】 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮
【特性・功徳等】
観世音菩薩は、勢至菩薩と対をなす阿彌陀如来の脇侍(わきじ)として配されます。その名のとおり、世の中の実態をありのままに観じ、人々の声を聞き、たちどころに苦しみや悩みを救い、我らを取り巻く悪事災難を除くことを誓願としています。
姿は三十三身或いは四十身あるといわれるほど種々に変化(へんげ)し、相手に応じて三世を自在に、いかなる場所にも自由に出現し、救済行を行うことから、観自在菩薩ともいいます。この三十三身の変化身(へんげしん)が西国・東国の三十三観音や秩父三十四観音の札所巡りの起りともなっているのです。経典の中においても広く登場する教主となっており、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)(法華経)の『観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五(観音経)』や、『般若(波羅蜜多)心経(はんにゃはらみったしんぎょう)』などは在家の方にもよく知られた経典です。経典の内容としては、『観音経』にあっては、人が生きる上で遭遇する多くの災難や恐怖に対しては、一心に観世音菩薩の妙智力を信じて念ずれば、救われるという除災招福を説いた経典であり、『般若心経』にあっては広く大衆に説法を行う教主として密教における「空(くう)」思想を説く経典となっています。
特に應化(おうげ)(衆生済度のためにその場その時に応じて変える姿)の三十三身は、楊柳(ようりゅう)、龍頭(りゅうず)、持経(じきょう)、円光(えんこう)、遊戯(ゆげ)、白衣(びゃくえ)、蓮臥(れんが)、滝見(たきみ)、施薬(せやく)、魚籃(ぎょらん)、徳王(とくおう)、水月(すいげつ)、一葉(いちよう)、青頸(しょうきょう)、威徳(いとく)、延命(えんめい)、衆宝(しゅほう)、岩戸(いわと)、能静(のうじょう)、阿耨(あのく)、阿摩提(あまだい)、葉衣(ようえ)、瑠璃(るり)、多羅尊(たらそん)、蛤蜊(こうり)、六時(ろくじ)、普悲(ふひ)、馬郎婦(めろうふ)、合掌(がっしょう)、一如(いちにょ)、不二(ふに)、持蓮(じれん)、灑水(しゃすい)といわれ、これらの行化(ぎょうけ)(教化を行う姿)の代表的な姿としては「七観音」といわれ、(しょう)観音と「六観音」の、十一面(じゅういちめん)観音千手(せんじゅ)観音如意輪(にょいりん)観音馬頭(ばとう)観音不空羂索(ふくうけんさく)観音准胝(じゅんてい)観音となります。
様相としては、聖観音や如意輪観音のように女性的な姿のものから馬頭観音のように忿怒像で火炎を燃やし、厳しい顔をしたものまで様々な姿をしています。
 
     
 
 
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一週忌
 勢至(せいし)菩薩 (Maha-−stha-ma pra-pta(マハー・スターマ・プラープタ);摩訶薩駄摩鉢羅鉢多。大精進、得大勢などどもいう。)
【種字】  さく(sah.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、(さん、)ざん、ざん、さく、そわか
【原語】 Om.(オン) sam.(サン) jam.(ジャン) jam.(ジャン) sah.(サハ) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  罪障を滅除せしめたまえソワカ
     (帰命したてまつる。サン・ジャン・ジャン・サハ、めでたし。)
【教義】 勢至菩薩 動三千界 光明法門 利益衆生
【特性・功徳等】
阿彌陀如来と三位一体の脇仏となる観世音菩薩が「慈悲の仏」とされるのに対し、勢至菩薩は「知恵の仏」といわれます。文殊菩薩もまた「知恵の仏」といわれてますが、文殊菩薩が釈迦の二大弟子(十大弟子の内の二大弟子)であった舎利弗(しゃりほつ)の変化仏(へんげぶつ)であるのに対し、勢至菩薩は目(もっけんれん)(目連)の変化仏であるといわれてます。参考; 「お盆」について【釈迦の十大弟子;舎利弗・目連】へ)
勢至菩薩の名の由来については、『観無量壽経(かんむりょうじゅきょう)』という経典に“智恵の光を以て普く一切を照らし、三途を離れしめて無上の力を得せしむ。是れ故に大勢至と名づく”と説かれるように、大きな智恵の「い」で人々の仏智仏性を開き、遂には覚りにらしめる功徳を持つことから、「勢至」という名が付けられたのです。
この経典の中にある「三途」とは、日本では古くから伝説としてよく語られている「三途の川」のことで、「火途」「血途」「刀途」の三途を渡す「地獄」「餓鬼」「畜生」の三世界にある迷いや苦しみだといわれます。そしてまた、地獄絵などにも描かれるように「焦熱地獄」「血の池地獄」「針の山地獄」に喩えられています。
様相としては、左手に蓮の花を持ち、右手にこの花を強く押し開こうとする勢いを示しています。これは如来が、この世で実際に救いに導く菩薩を使わせて人々の仏智仏性を開かしめるという姿勢を表わしたものだといわれてます。
なお、胎蔵界曼荼羅には観音院に配置されています。
 
     
 
 
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三廻忌
 阿彌陀(あみだ)如来 (Amita-bha(アミターバ);阿彌陀婆=無量光、Amita-yus(アミターユス);阿彌陀庚斯=無量壽、Amr.ta(アムルタ);無量清浄佛、甘露王如来などという。)
【種字】  きりく(hri-h.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、あみりた・ていせい、から、うん
【原語】 Om.(オン) amr.ta(アムルタ)−teje(テジェ) hara(ハラ) hu-m.(フーン)
【訳】  無量光(佛)よ滅罪せしめ給えウン
     (帰命したてまつる。甘露「不死」の威光ある尊よ、運載し給え。フーン。)
【教義】 一念彌陀佛 即滅無量罪 現受無比樂 後生清浄土
【特性・功徳等】
「阿弥陀浄土」という言葉があるように浄土宗や浄土真宗では阿彌(弥)陀如来を主本尊として祀り、“南無阿弥陀仏”の六字名号(念仏)を唱えれば、阿弥陀如来の力(功徳)により悩みや苦しみから救われ、安心を得ることが出来ると信心されています。
浄土系の宗派では『阿彌陀経』という経典がよく読経されますが、その経典に“舎利弗よ、仏の光明は無量にして、十方国を照らすに妨げるところがない。この故に号して無量光如来という。また、舎利弗よ仏の寿命及びその人民も無量無辺にして阿僧祇劫(あそうぎこう)(無限)なるが故に無量壽と名づく。”と説かれるように、“阿彌陀”とはサンスクリット語(梵語)で“無量寿”と訳され、「知恵と慈悲」を表します。即ち知恵の光と慈悲の功徳は無量無辺で限りないことを示すことから「無量壽如来」ともいうのです。
阿弥陀如来は西方にあるといわれる極楽浄土の教主であって、弥陀の四十八願という多くの誓願を本願力としてもつのです。この本願力に対する報恩報謝の念仏として六字の名号を唱えるのだといわれてます。
浄土真宗開祖の親鸞(しんらん)上人著作の『歎異抄(たんにしょう)』には“善人なおもて往生す。いわんや悪人をや”という句がありますが、これはどんな悪人であっても阿弥陀如来の本願力によれば極楽浄土に往生出来るという慈悲の強さを説いたもだといわれます。しかしこれは、「悪人正機」ということを意味するものですから、いかなる人の悪業、悪因も正しい教えに巡り会う機縁に恵まれれば阿弥陀如来の力を以て浄土へ往生出来るとした仏縁の広さを示したものなのでしょう。
また、人の生命が亡くなる時に二十五人の菩薩が阿弥陀如来と共に迎えに来て、浄土へ導いて行くという場面を映画のシーンや仏画などによく見かけることと思いますが、これを「弥陀の来迎(らいごう)」というのです。
仏像や仏画の様相は様々ありますが、よく見かける仏像の姿としては、結跏趺坐(けっかふざ)にして阿弥陀定印(じょういん)を結ぶものと、両手に転法輪印(又は説法印ともいう)を結ぶ立像があります。
 
     
 
 
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七廻忌
 阿(あしゅく)如来 (Aks.obhya(アキショービヤ);阿、阿婆ともいう。無動、不動、無瞋恚と訳す。)
【種字】  うん(hu-m.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、あきしゅびや、うん
【原語】 Om.(オン) aks.obhya(アキショービヤ) hu-m.(フーン)
【訳】  佛(無動なる者)よ
     (帰命したてまつる。阿尊よ。めでたし。)
【教義】 一佛成道 観見法界 草木國土 悉皆成佛
【特性・功徳等】
「阿」とは、“不動”で“無瞋恚(むじんに)”を意味します。それ故に、いかなる誘惑にも打ち勝ち、永遠に怨みや怒りを抱かぬことを堅固不動に誓い衆生済度にあたる仏だといわれます。また、容姿が美しく「妙色身(めいしきしん)如来」ともいわれ、この誓願のもとに東方世界に妙喜(みょうき)浄土を司ることから、薬師如来の別称ではないかという一説もあるようです。
仏像や仏画に見る一般的な容姿としては、袈裟の角を左手で持ち、右手は五指を伸ばした与願印若しくは施無畏(せむい)印を結んでいます。
特に密教曼荼羅の中では、“知恵”を表す「金剛界」曼荼羅(精神界)と、一切のモノを抱擁する“慈悲”を表現する「胎蔵界」曼荼羅(肉体界)の中枢を担う中央「大日如来」の分身として、「五智」・「五仏」の如来が配置されていますが、阿如来は金剛界五智如来の一尊として、大日如来の東方に配置されいます。
その金剛界の五智如来としては、金剛界大日・・寶生(ほうしょう)・阿彌陀・不空成就(ふくうじょうじゅ)であり、胎蔵界の五如来としては、胎蔵界大日・宝幢(ほうとう)・開敷華王(かいふかおう)・無量寿(むりょうじゅ)・天鼓雷音(てんこらいいん)であります。
金剛界は人間の精神界を表すことから、曼荼羅では精神(心)を九会(くえ)(九識)に区切りそれぞれの働きが示されています。そのうちには大日如来を中心として東・南・西・北に配置した五智如来(九識から転じて得る五種類の知恵)があり、それぞれの属性に分けて知恵の働きを表現しているのです。
そしてまた、大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)としての変化身(へんげしん)が「不動明王」となる如く、それぞれの如来もまた四天王の明王に変化(へんげ)することになるのです。(参考; このページの【「明王」とは】へ)
金剛界大日如来(変化身;不動明王)・・・・法界体性智(ほうかいたいしょうち)
“諸法の体性(モノの実体や主体)となる”知恵
如来(変化身;降三世(ごうさんぜ)明王)・・・・大円鏡智(だいえんきょうち)
“大円鏡のように法界の万象を正しく映しとる”知恵
寶生如来(変化身;軍荼利(ぐんだり)明王)・・・・平等性智(びょうどうしょうち)
“差別を滅して平等一如となり観ずる”知恵
阿彌陀如来(変化身;大威徳(だいいとく)明王)・・・・妙観察智(みょうかんさっち)
“諸法を分別し世の中をよく観察し巧みに説き伏せる”知恵
不空成就如来(変化身;金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王)・・・・成所作智(じょうそさっち)
“自利[上求菩提(じょうぐぼだい)]と利他[下化衆生(げけしゅじょう)]の優れた業(ごう)(行為)を成就する”知恵
 
     
 
 
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十三廻忌十七廻忌
 大日
(だいにち)如来 (Maha-vairocana(マハーヴァイローチャナ);摩訶毘盧遮那。大光明遍照・大日遍照・遍照などともいう。)
【種字】十三廻忌金剛界 ばん(vam.)  十七廻忌胎蔵界 あーく(a-m.h.)
【真言陀羅尼】(慣用音)
「金剛界」 おん、ばざら・だどばん
「胎蔵界」 おん、あびらうんけん
【原語】「金剛界」 Om.(オン) vajra(ヴァジラ)−dha-tu(ダーツ) vam.(ヴァン)
「胎蔵界」 Om.(オン) a(ア) vira(ヴィラ) hu-m.(フーン) kham.(カン)
【訳】 「金剛界」 金剛界(如来)よバン
     (帰命したてまつる。金剛界(如来)よ。バン。)
「胎蔵界」 本不生を證する勇者(胎蔵界如来)よウン、カン
     (帰命したてまつる。勇者(胎蔵界如来)よ。フーン。カン。)
【教義】「金剛界」 一見阿字 五逆消滅 真言得果 即身成佛
「胎蔵界」 不捨於此身 逮得神境通 遊歩大空位 而成身秘密
【特性・功徳等】
大日如来については、言うまでもなく密教の教主としての根本仏であり、密教思想の真髄を説く「宇宙生命の根源体」であると同時に「宇宙のありとありとあらゆる一切のモノの構成要素をなす中核」です。密教においては宗教そのもを具体的に説明し、教義を説き、信仰を作り上げてきた起源が大日如来であり、すべての仏が大日如来の化身となるのです。
仏像や仏画に見る大日如来は、二種類に分けられますが、智拳印を結んでいるものが金剛界大日如来で、法界定印を結んでいるものが胎蔵界大日如来です。胎蔵界大日如来の仏像は珍しく、一般的には金剛界大日如来が祀られていることが多いようです。
 
参考; このページの【「如来」とは
参考; このページの【「十三仏」等は何の意味で先祖をはじめとする仏(亡者)の供養となるのか
参考; 宗教とは何か【信仰心と自然崇拝の精神
参考; 宗教とは何か【宇宙にある生命と食物連鎖
参考; 宗教とは何か【「須彌仙」と「密教曼荼羅」
 
     
 
 
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二十三廻忌
 般若(はんにゃ)菩薩 (Prajn~a-(プラジュニャー);般若。知恵・恵・明・清浄・遠離と訳す。)
【種字】  じゅにゃー(jn~a-)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、ぢ、しゅり・しゅろだ・びじゃえい、そわか
【原語】 Om.(オン) dhi(ディ) s'ri(シュリー)−s'ruta(シュルタ)−viijaye(ヴィジャーエ) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  般若より煩悩を滅除し給える大勝者よソワカ
     (帰命したてまつる。吉祥の名誉ある大勝者尊よ。めでたし。)
【教義】 諸法本不生 自性離言説 清浄無垢染 因業等虚空
【特性・功徳等】
般若菩薩は、覚りを得るための“般若の(=)知恵”を象徴したもの、即ち「般若波羅蜜多」の行を得る教えを偶像化した仏と解釈します。「菩薩」は「菩提薩」の略で「覚り得た者」をいうように、真言密教の『即身成仏』思想においては、この“般若の知恵”を以てすれば誰もが真の悟り(覚り)を得ることが出来るとするのです。参考; 彼岸について【「波羅密多」とは】
仏像としては作られていないようなので、一般にはあまりよく知られていませんが、密教曼荼羅の胎蔵界においては、持明院の中央尊として三目六臂(さんもくろっぴ)の姿で配置され、虚空蔵院には二臂(にひ)の般若仏母として配置されてます。
様相としては、甲冑(かっちゅう)或いは羯磨(かつま)衣で宝冠をかぶり、梵篋(ぼんきょう)(経箱)や知恵を表す剣を持つものがあります。経典や剣を持たないそれぞれの手には異なる印を結んでいますが、六臂の手は「六波羅蜜」を象徴しているといわれます。参考; 「彼岸」について【六波羅蜜とは】へ)
胎蔵界曼荼羅の持明院は不動明王とその眷属の四天王の院となっていますが般若菩薩が中心に配置されています。その所以としては、混迷する世の中で、欲望の執着から逃れることの出来ない凡夫に生きる我らの煩悩を打ち破るために、大日如来の教令輪身である不動明王が大勇猛心を以て火焔を負う憤怒の形相を表し迷いを断ち切ってくれるのだといわれますが、その実践としての功徳の真知を得るためには、どうしても般若の知恵のを体得した般若菩薩の力が必要になったからではないかと思われます。
また、虚空蔵院にあっては、虚空蔵菩薩の持つ“虚空”即ち“大空の知恵”を行ずる功徳の内面には、「般若波羅蜜多」の行を実践するために必要となった「般若の知恵」と密教における「空思想」が本質となっているからだと思われます。
なお、これは私事ですが、「般若菩薩」といえば、すぐに当寺本山(醍醐寺)で行われる「五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)」の息災護摩法要を思い出してしまいます。この法要は、金堂と上醍醐五大堂で行われる法要なのですが、特に上醍醐五大堂で行われる法要は二月の寒い時期ですから白い息を立てながら、長い時間、般若菩薩の呪(真言陀羅尼)を唱えていたという記憶が蘇ります。この時の呪は、上記に記載される呪より少し長く、“のうぼう、ばぎゃばと、はらじゅ・はらみたえい、おん、きり、ぢ、しゅり・しゅろだ・びじゃえい、そわか”でした。
 
     
 
 
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二十五廻忌五十廻忌
 愛染
(あいぜん)明王 (Ra-gara~ja(ラーガラージャ)羅闍、又は、Vajra(ヴァジラ)−ra~ja(ラージャ);縛日羅羅惹必哩耶という。)
【種字】二十五廻忌 うーん(hhu-m.)又は  五十廻忌 うん(hu-m.)
【真言陀羅尼】(慣用音)
「二十五廻忌」 おん、ばざら・ぎややかん
「五十廻忌」 うん、たき、うん、じゃく、うん、しっち
【原語】「二十五廻忌」 Om.(オン) vajra(ヴァジラ)−ra-ga-ya(ラーガーヤ) ha-m.(ハーン)
「五十廻忌」 Hu-m.(フーン) takki(タッキー) jah(ジャー) hu-m.(フーン) siddhi(シッディ)
【訳】 「二十五廻忌」 金剛愛染(明王)よカン
     (帰命したてまつる。金剛愛染(明王)よ。ハーン。)
「五十廻忌」 ウン愛染(明王)よ、ウン鉤召降伏し成就せしめ給え
     (フーン、タキー神(夜叉)よ。フーン・滅除せよ、成就せよ。)
【教義】「二十五廻忌」 身色如日暉 随形於愛染 三目六臂王 即時諸罪破
「五十廻忌」 大日金剛部 微細住自然 常明常遍照 不壊清浄業
「廻向塔婆陀羅尼以外の真言陀羅尼」(慣用音)
 おん、まからぎゃ、ばーぞろ、しゅーにー、しゃーばー、ざら、さとば、じゃく、うん、ばんこく
【特性・功徳等】
サンスクリット語(梵語)の“Ra-ga(ラーガ)”は“愛情”、“情欲”、“赤色”を意味し、“Ra~ja(ラージャ)”は“王”を意味ます。また、“Vajra(ヴァジラ)”は“金剛”を意味します。即ち“Ra-gara~ja(ラーガラージャ)”は“Vajra(ヴァジラ)−ra~ja(ラージャ)”と同一体とする別名を以て「金剛王」と訳すこととなりますので、「金剛王菩薩」は愛染明王が菩薩行として姿を変えたものなのです。
そして愛染明王もまた、不動明王などと同じく「如来」の教令輪身(きょうりょうりんじん)としての姿ですから、人間の心の裏面にある怒、欲、愛、慢などといった「明王」の特性を持つ仏なのです。参考; このページの【「明王」とは】
その名の如く特に「愛欲貪染」を菩提心に昇華させる功徳、即ち真言密教思想における『煩悩即菩提』の誓願を示しているのです。
【教義】文にもあるように、“姿は太陽の輝きの如く炎を背負い赤色にして、形相は「愛欲貪染」のままのにして、三面六臂の王であり、即時に衆生の諸々の罪を鉤召し破る。(引き寄せ降伏させる)”のです。故に、人間の心の底にある「愛欲貪染」から生まれる悩みや苦しみに対し、強い愛情を以て解脱させるといわれることから、この明王をして、息災、敬愛、得福祈願の祈祷が修法されているのです。なお、【訳】にある「タキー神(夜叉)」とは、降三世明王(ごうさんぜみょうおう)を指すといわれますが、降三世明王は、傲慢な大自在天(シヴァ神)の妻とされる烏蒭沙摩(うすさま)妃を踏みつけた姿をしてることから、おそらく「強欲」的な表現をあらわにした降三世明王の功徳を喩えたものではなかろうかと思われます。
 
     
 
 
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三十三廻忌
 虚空蔵(こくぞう)菩薩 (Aka-s'a-garbha(アカーシャーガルバ);阿迦捨蘖婆、又は、Gagana-an~ja(ガガナーアニャージャ)嚢彦惹という。)
【種字】  たらく(tra-h.)
【真言陀羅尼】(慣用音) おん、ばざら・あらたんのう、おん、たらく、そわか
【原語】 Om.(オン) vajra(ヴァジラ)−ratna(ラトゥナ) om.(オン) tra-h.(トラーフ) sva-ha-(スヴァーハー)
【訳】  金剛寶(菩薩)よ寶珠よソワカ
     (帰命したてまつる。金剛寶菩薩よ、寶生如来よ。祥福あれ。)
【教義】 大満虚空蔵 能化有情類 我今帰依禮 一切皆利益
「廻向塔婆陀羅尼以外の真言陀羅尼」(慣用音)
 のうぼう、あきゃしゃ、ぎゃらばや、おんあり、きゃまり、ぼり、そわか
【特性・功徳等】
真言宗祖弘法大師空海が勤操大徳から「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」の教えを授かったという伝記が残されています。「聞持」とは「聰明博覧強記」といいますが、これは虚空蔵菩薩呪(真言陀羅尼)を百万遍唱えることにより、記憶力が良くなるという行なのです。誰もがそうありたいと望むことでしょうが、なかなかそう簡単に出来る行ではありません。宗祖空海は、阿波の大竜ケ嶽や土佐の室戸岬でこの法を修法し、出家を決意したといわれます。
虚空蔵とは、「大空」即ちこの宇宙全体に生きる生命を表し、生命の源を観じ真理を覚る「空(くう)の境地を得る知恵」を示しているのです。それ故に宗祖空海もこの虚空蔵菩薩の求聞持法を修法し、自らの身を以て地球の生命活動を体得しながら行脚し、大空の智恵を得られたのです。
虚空蔵菩薩の形相としては、左手に福徳を表わす蓮華又は福徳の如意宝珠を持ち、右手に知恵の利剣を持つものが一般的です。
なお、胎蔵界曼荼羅においては虚空蔵院を構成します。
 
     
 
 
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三十七廻忌百廻忌
 金剛薩
(こんごうさった) (Vajrasattva(ヴァジラサットヴァ)薩怛摩訶薩怛。執金剛・持金剛・金剛手・秘密主・金剛主菩薩摩訶薩と訳す。)
【種字】三十七廻忌 あく(ah.)  百廻忌 さとばん(sattvam.)
【真言陀羅尼】(慣用音)
「三十七廻忌」 おん、ばざら・さとば、あく、そわか
「百廻忌」 おん、まか・そぎゃ・ばざら・さとば、じゃく、うん、ばん、こく、そらた、さとばん
【原語】「三十七廻忌」 Om.(オン) vajra(ヴァジラ)−sattva(サットバ) ah.(アハ) sva-ha-(スヴァーハー)
「百廻忌」 Om.(フーン) maha-(マハー)−sukha(スキャ)−vajira(ヴァジラ)−sattva(サットバ) jah.(ジャハ) hum.(フーン) vam.(ヴァン) koh.(コフ) suratas(スラタス) tvam.(トゥヴァム)
【訳】 「三十七廻忌」 金剛薩よアクソワカ
     (帰命したてまつる。金剛薩よ。成就あれ。)
「百廻忌」 大楽よ金剛薩よ、鉤索鎖鈴し給える御身は妙適なり
     (帰命したてまつる。大楽金剛薩よ。フーン、滅除せしめ、成就せしめ給え。妙適なり。)
【教義】「三十七廻忌」 菩薩勝慧者 乃至生死 恒作衆生利 而不趣涅槃
「百廻忌」 般若及方便 智度悉加持 諸法及諸有 一切皆清浄
【特性・功徳等】
金剛薩とは、“vajra(ヴァジラ)”「金剛」=「永遠」を意味し、“sattva(サットバ)は「人」を意味します。密教継承の教主として『付法(ふほう)の八祖』の第二祖となっています。
密教発祥の地とされる天竺(てんじく)(インド)からシルクロードをわたり中国へ、そして空海が遣唐使として唐(中国)に渡り日本に伝承した真言密教(三国伝来密教)の教義は、『付法の八祖』と『伝持(でんじ)の八祖』により伝承されたとされます。
『付法の八祖」とは、『大日如来金剛薩龍猛(りゅうみょう)龍智(りゅうち)金剛智(こんごうち)不空(ふくう)恵果(けいか)弘法』の八祖のことで、『伝持の八祖』とは『龍猛→龍智→金剛智→不空→善無畏(ぜんむい)→一行(いちぎょう)→恵果→弘法』の八祖ということになりますが、一般には何故に二通りあるのか紛らわしくも思われ、なかなか理解できないこととも思います。
しかし、これには密教としての神秘があり、一般仏教(顕教(けんぎょう))とは異なる秘密荘厳(ひみつそうごん)の奥義が秘められているのです。
「付法」とは、「付法の器」をいい、器の中にある水を教えと喩え、その水を一滴もこぼさずに次の器に移し受け継ぐことをいうのです。
この付法の八祖の第一開祖としての「大日如来」は、密教の根本仏とされ、太陽として象徴される宇宙生命の根源体であり、また、宇宙を構成するありとあらゆる一切のモノの要素であることを示すように、歴史上の人物としては存在しませんが、真理を説き密教の教えを「金剛薩」へ承継し、その教えが「龍猛」に承継されたことは、密教思想においては絶対的に確立された教義なのです。
「金剛薩」についても密教を伝承した歴史上の人物としては不詳となっていますが、真理の覚りを開いた「釈尊」が即ち永遠を生きる「永遠人」として同一体であり、大日如来の説法は「金剛薩」としての媒介体を通してその教えが「龍猛」に受け継がれたのです。
弘法大師(空海)の著した『付法傳(ふほうでん)』によれば、「龍猛」は釈尊の滅後八百年した頃、南天竺(中インド)の鉄塔(寺院)に入り、そこで金剛薩と出会い密教の教えを受け、その後、塔の前で真言(陀羅尼)を誦すと大日如来が種々に身を変じて虚空の中に姿を現じ、法門章句(『毘盧遮那念誦法要(びるしゃなねんじゅほうよう)』という経典一巻)を説き、その教え(経典)を龍猛に写させると姿を消滅させたというのです。
そして、この真言秘密の法をはじめて世間に流布したのが「龍猛」であり、歴史上人物としての伝承者となったのが、『伝持の八祖』なのです。
なお、密教曼荼羅においては、金剛界三十七尊の一として阿如来四親近の一に配置されます。また、理趣会(りしゅえ)の本尊として、菩提心の上より一切の諸法は悉く金剛の本質に他ならないと覚ると共に、悟り(覚り)を一切有情界に与えようと、降三世会(ごうさんぜえ)では憤怒の形相を表し、煩悩と所知の二障を断じる功徳を示しています。胎蔵界では金剛手院(こんごうしゅいん)の中尊として成所作智(じょうそさっち)「“自利[上求菩提(じょうぐぼだい)]と利他[下化衆生(げけしゅじょう)]の優れた業(ごう=行為)を成就する”知恵のこと」の解脱道を表し、普賢菩薩と同一ともされています。
 
 
     

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