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イソップ寓話集 中務哲郎 訳 岩波文庫 1999年3月発行

私がイソップ寓話を読んだのは、ギリシア古典で一番お手軽そうという理由です。哲学は手におえないし、悲劇も叙事詩も敷居が高い。でもイソップは昔から庶民の味方。ど庶民の私にはうれしい企画。でも読むの苦労したけど。
実在のイソップさんが作った話がどれか、まったくわからないそうです。でも気にしない。「イソップ寓話」というのは、ミステリー・SFといったジャンルわけのようなものだから。

471話のうち、ぱっと頭に浮かんだ話を5つ選んでみました。
イソップ寓話といったら、清く正しい良い子のための教訓話でいっぱい……と言っていいのかなあ?
出世したい人には向きません。ごめんね、でも文句はイソップさんに言ってね。名もなく貧しい人が、名もなく貧しいまま生きるための処世術です。少なくとも、今の日本じゃ流行らないなあ。ただでさえ不景気なのに、不景気な生き方を奨励しているからね。
※番号・タイトル・本文は、そのまま引用してます。

17 尻尾のない狐
 狐が罠にかかって尻尾を切り取られた。恥ずかしくて、生きていくのも辛いほどなので、他の狐にも同じようにさせねばならぬと考えた。みなを同じ目に遭わせて、自分のぼろ隠しを図ったのだ。
 こうして全員を集めると、こんなものは不細工なだけでなく、余計な重みをくっつけていることにもなると言って、尻尾を切るように勧めた。すると、中の一匹がさえぎって言うには、
「おいおい、そこの奴、もしそれがおまえにとって都合の良いことでないのなら、我々に勧めはしなかったろうよ」

 善意からではなく自分の都合から隣人に忠告を与える人に、この話は当てはまる。

イソップ寓話の狐はみんな賢い。一番有名な話は「酸っぱい葡萄」。失敗するのも、「策士策におぼれる」的なパターンが多い。 
というわけで、狐が登場する話が好き。この狐も失敗しちゃったけど、試みはすばらしい。自分がダサいルックスになってもめげないたくましさ。逆に、自分の姿を最新モードにしようというのは、美的価値観をひっくり返すことだ。すごいね、流行を追いかけるのではなく、新しい流行を作ろうとするなんて。しかも自分のために、だよ。
がんばれ、狐! めげるな、狐! ニューモードを作るんだ!!

35 人間とサテュロス
 ある時、人間がサテュロスと友情を結んだということだ。やがて冬が来て、寒くなった時、人間は両手を口の前へ持って行き、息を吹きかけた。何のためにそんなことをするのか、とサテュロスから尋ねられて、しばれるので手を暖めるためだ、と人間は答えた。
 その後、二人が食卓を挟んだ時のこと、料理が大変熱かったので、人間は少しずつ口元へ持って行き、息で冷ました。なぜそんなことをするのか、と再びサテュロスから訊かれて、料理が熱すぎるので冷ますのだ、と答えたところ、サテュロスはこう言った。
「あんたとの友情もここまでだ。同じ口から、熱いものも冷たいものも吐き出すような奴とはな」

 そこで我々も、性格のはっきりしない人との友情は避けなければならぬのだ。

サテュロスっていうのは男の精霊らしい。
吐く息の使い道から、なんでこんな教訓が出るわけ? ある時は暖め、ある時は冷ます……まさに天然エアコン。こんな便利な道具ってなかなかないぞ。
臨機応変って単語を知らないのか、古代ギリシア。

44 王様を欲しがる蛙
 自分たちに支配者がいないことを苦にした蛙たちが、ゼウスのところへ使者を送って、王様を授けて下さい、と頼んだ。ゼウスはこの連中の愚かなのを見すかして、池に木切れを放り込んでやった。
 蛙たちは、はじめこそドブンという水音に驚いて、池の深みに身を隠したが、そのうちに、木切れが動かないものだから、水面に上がって来ると、すっかり木切れを馬鹿にして、とび乗って座り込む始末。
 こんな王しか持てぬのは心外だと、蛙たちは再びゼウスを訪ね、支配者を取り替えてほしいと願った。最初のはあまりにも愚図だというのだ。すると、ゼウスが大いに腹をたて、水蛇を遣わしたので、蛙たちは捕まって食われていった。

 支配者にするには、事を好むならず者より、愚図でも悪事を働かぬものがまだましだ、とこの話は説き明かしている。

ゼウスとは、神々の王様。どーも私は、この偉大な神様が好きになれない。理由の半分は、あまりに節操なくあっちこっちで子供を作っているからなんだけど。
蛙さんたちの健気な願いに対して「棒切れ」ですか? それが神様の仕事ですか? 愚かというだけで食われるとは、あまりにサバイバルだ、古代ギリシア。
蛙さん……あのゼウスなんかに頼みごとをしたのが、根本的な誤りだったんだよ。王様は自分たちの中から選ばなくっちゃねえ……。

88 ヘルメスと彫刻家
 ヘルメスは人間界でどれ程尊敬されているか知りたいと思い、人に姿を変えて、彫刻家の工房へ入って行った。ゼウス像を見つけて、
「幾らかね」と尋ねたところ、
「1ドラクメです」との答。安いのでおかしくなって、
「ヘラの像は幾らだ」と訊くと、もっと高いと言う。
 自分の像もあったので、何しろ自分は神々の使者で利殖の神様だから、人間はさぞ高い値をつけているにちがいないと思い、重ねて、
「で、このヘルメスは?」と尋ねた。すると彫刻家の言うには、
「いやなに、こちらの二体を買って下さるなら、そいつはおまけで差し上げます」

 人からは物の数にも入れられぬうぬぼれ屋にこの話はあてはまる。

ヘルメスも、古代ギリシアの神様。ブランドにもあったけど、そっち方面は私弱いからパス。旅人と商人を守る神なので都会派といっていい。ついでに泥棒の神様。泥棒にも守護神をつけるとは、とっても寛大な古代ギリシア。
神々の王ゼウスの使者として忙しく走りまわり、何かと画策するブレーン。奸智に長けているそうな。というか、こいつゼウスのパシリだよ。……つい、ヘルメスの紹介に気合を入れてしまった、王様のパシリって設定が好きなんで……。
さて、パシリのヘルメス君。神様のクセにこそこそ探りを入れるから、かえって惨めになったじゃないか。ああ、栄光あるオリュンポス十二神が、人間ごときにコケにされるなんて……やっぱり泥棒の神様だからかな?

247 旅をするディオゲネス
  犬儒派のディオゲネスが旅をしていた。川のほとりまで来たところ、洪水で渡ることができず、立ち往生していると、河渡しになれた男が彼の困っているのを見て、やってきて向うへ渡してくれた。ディオゲネスはその親切に感激したが、恩人にお礼もできない我が身の貧しさを託ちつつ、突っ立っていた。なおもそのことを苦にしていると、男は別の旅人が渡りかねているのを見て、駆け寄るなり渡してやった。するとディオゲネスが男に言うには、
「さっきのことで君に感謝する気がなくなった。君が人を選んでするのでなく、癖でしているだけだと分かったから」

 それだけの値打のある人にもない人にも親切にすると、善行の聞こえどころか不見識の悪評が立つ、ということをこの話は解き明かしている。

ディオゲネスって人は、何かとアクの強い哲学者だったそうな。犬儒派って何かわからないや、ごめん。哲学に強い人に訊いて。
それにしてもこの親父、めちゃくちゃだね。見返りを求めない親切への報酬が「厭味」かい? あんたの値打なんて、初対面でわかるわけないでしょ。ったく、これだから哲学者って人種は……頭を使う方向がどこか違うぞ。
闇雲に親切にするなってのは、一つの知恵。でもこの話、小学校の道徳の教室じゃ使えない教材だなあ。

うーむ、比較的お上品なセレクションになってしまった。児童書には載せられない話もちょびっとあるが、自主規制装置が作動してしまったわ。
エピソードと教訓とのギャップに対して「なんでえ〜?」と突っ込む……これこそ正式なイソップ寓話の楽しみ方です。

2001/2/19 記

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