1980年(昭和55年)10月5日

埼玉県加須市北篠崎の民謡


麦こなし唄(麦打ち唄)  加須市北篠崎  84A
  
  ○私ゃナーハエ太田の  金山そだちヨー
    他にゃナーハエ  木〔気〕はない
    コラ松〔待つ〕ばかりヨー
      (ア  ドッコイサ  ドッコイショ)
  
  ○見てもナーハエ見たいのが  馴染みと鏡ヨー
    二度とナーハエ忘れないように
    良く手を打ってくだしゃんせー
  
  ○古河のナーハエ船戸で
    今朝見た島田ヨー
      (アー  コンナレコンナレ  コナシテドウスル
	団子ニ丸メテ  グンズラ  クンヌメ)
  
  ○遠くナーハエ離れて  苦労するよりもヨー
    浮気ナーハエされても  コラそばがよいヨー
      (アー  コンナレコンナレ  コナシテドウスル
	団子ニ丸メテ  グンズラ  クンヌメ)
  
  ○ハー世界のナーハエ灯が  利根川へ写るヨー
    それでナーハエ船頭さんが  コラ夜船越すヨー
      (ハー  ヨクキタ  ヨクキタ)

    (演唱者  K.K 女性  91歳(明治22年生まれ)
      昭和55年10月5日)

    
田植唄  加須市北篠崎  84A
  
  ○植えてナーハエ根付けて  孕ますまではヨー
    ハー幾度もナーハエ駆け込む  アリャ田草取るヨー
      (アー  ソレコイ  ヤレコイ  ソレコイ  ヤレコイ)

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    
四十三年水の唄  加須市北篠崎  84A
  
  ○四十三年水の年  旧七月の七夕に
    あちらこちらの  大水が  聞くも語るも  哀れなる
  
  ○二つとせ  吹き出す風はマ  大津波
    行田と長野の  その間
    流れる人民  数知れぬ
    助けておくれと  声をあげ 
    ア郡役所より  助け船  

  ○三つとせ  見るより哀れの  埼玉の
    行田と長野の  その間
    流れる人民  数知れぬ
    助けておくれと  声をあげ
    ア郡役所より  助け船  

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    〔演唱者の話〕加須の町に、明治43年の大水のことを歌
      本にして、網笠をかぶりながら売り歩く人がいた。そ
      れを三番まで聞き覚えた。本来は十番まであった。22
      歳の時に水が出た。21歳で結婚し、そのころ大きなお
      腹であった。そこで「お腹が大きいんだから(水を)
      見に行くな。」と言われた。

    〔筆者注〕演唱者の記憶はおぼろげで、本当の歌詞はわ
      からないが、一応録音のままに記述しておく。
    

口説  加須市北篠崎  84A
  
  ○今度新版  ぐでなし文句
    女きんじい〔禁制?〕  高野の山へ
    山へ登れば  石童が丸い
    丸い卵は  切りよで四角
    四角四面の  恋路の道は
    見ればその通り  卵でございますよ

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    
盆踊り唄  加須市北篠崎  84A
  
  ○ハアー盆が来るのに  茄子の皮のおじだト
    さぞやつらかろ  恋しかろ
     (押シテケ  押シテケ  ヨーイトナ盆ガ来ルカラ  押セヨ)

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    
万作踊り  加須市北篠崎  84A
  
  ○お半と長右衛門さんだヨー
    ちょいとまたコラ  なり染め
    ついなり染めたヨー
    ちょいとまたマタコラ  なり染め

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    
盆踊り唄  加須市北篠崎  84A
  
  ○サーサこれから  やりましょじゃないか
    わしが音頭を  取るのじゃないが
    私ゃ向かいの  氷屋の娘
    音頭取るとは  はばかりながら
    通りがかりに  チョイト頼まれた
      (ハー  スットン  スットン  スットンサン)

    (演唱者  K.K 女性  91歳  昭和55年10月5日)

    〔演唱者の話〕「向かいの氷屋の娘」とは、不動岡の不
      動さまの娘との事。